跨座式モノレールの規格統一とロッキード社の撤退
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「日本ロッキード・モノレール」の記事における「跨座式モノレールの規格統一とロッキード社の撤退」の解説
1967年、運輸省は日本モノレール協会に「都市交通に適したモノレールの開発研究」を委託した。この委託研究の中で運輸省は、アルヴェーグ式(日立製作所が導入)、東芝式、ロッキード式の3方式が乱立していた跨座式モノレールの方式を整理するように求めていた。 同年7月、日本モノレール協会が主催する「都市交通用モノレール研究特別委員会」が発足し、日本ロッキード・モノレールも、日立、東芝と共にこれに参加した。跨座式モノレールの規格統一に関しては協議が難航した。ゴムタイヤを使用するアルヴェーグ式・東芝式と、鉄輪を使用するロッキード式は、技術的に両立不可能だったからである。日本ロッキード・モノレールは1964年以降社長が空席で、川崎航空機工業出身の四本潔が代表取締役を務めていたが、四本はゴムタイヤ方式を容認することを都市交通用モノレール研究特別委員会に伝えた。 当時日立製作所のモノレール技術部長だった網本克己は、鉄道技術者の間ではロッキード式の評価が高かったとした上で、日本ロッキード・モノレールが鉄輪方式にこだわらずにゴムタイヤ方式に参加したことは英断だった、と述べている。
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