王権の確立
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上述の通り4世紀末の段階では、フランク人には確立した王権はなく、数多くの集団が「将領」的統率者の下で割拠していたと考えられる。トゥールのグレゴリウスが引用するスルキピウス・アレキサンデルの歴史書は、このフランク人の支配者について、最初の王の名前を挙げることなく、彼らが大公(ducas)を有していたと表現している。このことは4世紀末の段階で、フランク人の下では確立した王制が未だ存在せず、古来からのゲルマン人に見られた「大公」たちによる連合体制がとられていた事を示唆している。また、グレゴリウスはこの時代のフランク人の支配者を「王のごとき者(regales)」、または「小王(sub-regules)」と表現し、「王(rex)」として扱わない。 グレゴリウスは、フランク人がパンノニアから出たとし、初めライン川沿岸に定着した後、ライン川を越えてトリンギア(Thoringia)に移り、その地でパグス(pagus)とキウィタス(civitas)ごとに高貴な家柄の者として「長髪の王」を推戴したと記す。それに続けて、フランク人リコメールの息子、テウドメール(英語版)を初めて明確に「フランク人の王(rex Francorum)」として言及し、また「高貴なる」フランク人クロディオ(英語版)が、やはり王であったと伝え、彼の家系からメロヴィク(メロヴィクス)王が出て、その子キルデリク1世と孫クローヴィス1世によりフランク王国(メロヴィング朝)が成立した過程を記録している。このフランク人の王権確立、メロヴィング家の権威の確立の過程については史料的制約によりはっきりしたことはわかっていない。ただ、クロヴィス1世の時代には既にメロヴィング家の出身者だけが王となれるのが彼の部族では自明となっていた しかし、5世紀の段階においても、未だフランク人の部族形成は終了していなかったと見られる。『偽フレデガリウス年代記』が伝えるところによれば、メロヴィクは海神ネプチューンの獣の姿で現れたクロディオ王とその妻の間の息子であるとされるが、この説話は白牛に変身したゼウスとフェニキアの王女エウロペーの伝承に影響を受けたものなのは明らかである。つまり、キルデリク1世とクロヴィス1世の時代から数世代遡っただけで、出自伝承が神話の世界に入るほど、フランク王権の生成は「新しい」出来事だったのである。
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王権の確立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/13 15:45 UTC 版)
3. メネルディル (Meneldil) 158年 4. ケメンドゥア (Cemendur) 238年 5. エアレンディル (Eärendil) 324年 6. アナルディル (Anardil) 411年 イシルドゥアが戻らなかったため、ゴンドールの王位はメネルディルと、かれの子孫が継いでいくことになった。上級王がいなくなったため、アルノールとの関係は希薄になった。 メネルディルはアナーリオンの第4子であり、ヌーメノールで生まれた最後のものである。かれはイシルドゥアの見送りの際に「帰りが遅くなればいい」と思っていたが、それを表に出すほど礼儀知らずではなかった。
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