ビルマ族の南下と王権の確立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 21:54 UTC 版)
「パガン王朝」の記事における「ビルマ族の南下と王権の確立」の解説
南詔の尖兵として上ビルマに存在していたピューを征服し、その後イラワジ平野に定住したビルマ族を祖先とする。849年ごろに彼らが都を築いたパガンの地は降水量が少なく、稲作には不向きな土地であったが、米どころであるチャウセー地方(en:Kyaukse District)とミンブー地方(en:Minbu District)の中間点に位置していた。ビルマ族は先住していたピュー族から農耕技術を学び、彼らとの接触によって仏教を知ったと考えられる。 現存する王朝の出土品から初めて実在が確認される、王統史の言う「44代目」のアノーヤター(1044年 - 1077年)が最初の王とされる。アノーヤターは四方に軍を進めて領土を広げ、南方のモン族のタトゥン王国(英語版)の都モッタマ(現在のタトゥン地区(英語版)にある)を制圧した際には、モン族の文化を取り込んでビルマ文化の構築に貢献した。また、国内の統制を高めるために密教的な要素の強い大乗仏教僧と見られるアリー僧の排除に取り掛かり、国を上座部仏教本位に変えた。魔力によって民衆に影響を及ぼすアリー僧を弾圧することで、民衆との連帯を強化したのである。アノーヤターの名前が刻まれた磚仏は彼が実在の王であることを示すとともに、その出土地は彼が築城したと王統史に記録される城砦とほぼ一致しており、最初期のパガン王朝の支配領域が推測できる。
※この「ビルマ族の南下と王権の確立」の解説は、「パガン王朝」の解説の一部です。
「ビルマ族の南下と王権の確立」を含む「パガン王朝」の記事については、「パガン王朝」の概要を参照ください。
- ビルマ族の南下と王権の確立のページへのリンク