ビルマ方面軍創設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 02:15 UTC 版)
日本軍もビルマの戦力を増強していた。それまでの第15軍の4個師団体勢では戦力不足であるため、1943年3月27日、河辺正三中将を方面軍司令官として「ビルマ方面軍」を創設し、その下に第15軍(軍司令官:牟田口廉也中将)を置いた。さらに1944年1月15日ビルマ南部担当の第28軍(軍司令官:桜井省三中将)を、4月8日ビルマ北部担当の第33軍(軍司令官:本多政材中将)を編成し、戦力は最大時で10個師団・3個旅団・1個飛行師団を数えるまでとなった。しかし広大なビルマを防衛することはそれでもなお困難だった。第15軍司令官牟田口中将は、連合軍の機先を制すべくインパール方面で攻勢をとり、その間アキャブ(現在のシットウェ)、フーコン河谷、雲南方面では最小限の兵力で持久するという戦略を主張した。 1943年10月30日、中国軍新編第1軍がフーコン河谷ニンビン(現在の Ningbyen, en:Tanai Township)の日本軍陣地を攻撃した。スティルウェルの構想する「レド公路」打通作戦の第一歩だった。連合軍の本格的反攻が開始されたのである。
※この「ビルマ方面軍創設」の解説は、「ビルマの戦い」の解説の一部です。
「ビルマ方面軍創設」を含む「ビルマの戦い」の記事については、「ビルマの戦い」の概要を参照ください。
- ビルマ方面軍創設のページへのリンク