ビルマ戦域
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 00:44 UTC 版)
ビルマ方面では日本陸軍とイギリス陸軍との地上での戦いが続いていた(ビルマの戦い)。1944年3月、インド北東部アッサム地方の都市でインドに駐留する英印軍の主要拠点であるインパールの攻略を目指したインパール作戦とそれを支援する第二次アキャブ作戦が開始された。スバス・チャンドラ・ボース率いるインド国民軍まで投入し、劣勢に回りつつあった戦況を打開するため9万人近い将兵を投入した大規模な作戦であった。しかし、無謀な作戦により約3万人以上が餓死等で戦死、日本陸軍にとって歴史的な敗北となった。これ以降、ビルマ方面での日本軍は壊滅状態となる。 インパール作戦の敗北で弱体化した日本軍に対して、元の宗主国であるイギリス軍を放逐した日本軍と協力関係にあったビルマ国軍の一部が日本軍に対して反乱を起こした。1945年3月下旬には「決起した反乱軍に対抗するため」との名目で、指導者であるアウン・サンはビルマ国軍をラングーンに集結させたものの、集結すると即座に日本軍に対しての攻撃を開始し、同時に他の勢力も一斉に蜂起してイギリス軍に呼応した抗日運動が開始された。最終的には5月にラングーンから日本軍を駆逐した。
※この「ビルマ戦域」の解説は、「太平洋戦争」の解説の一部です。
「ビルマ戦域」を含む「太平洋戦争」の記事については、「太平洋戦争」の概要を参照ください。
- ビルマ戦域のページへのリンク