英国の守勢方針
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1944年(昭和19年)10月に、チャーチルはマウントバッテンに次のように指令している。 貴官の第一の任務は日本軍に執拗に繰り返し繰り返し接触し挑発し続けて日本軍を疲れさせ、特にその航空戦力を消耗させることだ。そうして太平洋正面からビルマ正面に日本軍の戦力を吸引することである。 — John Ehrman, Grand Strategy ⅴ (London: Her Majesty’s Stationery Office, 1956), p.148(荒川憲一による訳。) この指令を受け、英印軍にとってビルマ戦域での作戦は支作戦となり、11月以降は最小限の兵力で日本軍を誘出、拘束することが目的となった。荒川憲一は、日本軍が攻勢を取るために兵力を増強すればするほど「思うつぼ」だった旨を述べている。
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