ビルマ国民軍離反
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 02:15 UTC 版)
3月17日、アウンサンが率いるビルマ国民軍の出陣式がラングーンのシュエダゴォン・パゴダ前広場で行われた。バー・モウは「断固として敵を討て」と演説したが、すでにイラワジ戦線の崩壊によって日本軍の敗北は明白だった。アウンサンが日本と結んだのはビルマの独立のためであって、日本と心中する意思など持っていなかった。 3月27日、ビルマ国民軍11,000名はアウンサンの指揮のもと、AFPFLの旗を掲げ、日本軍に対して銃口を向けた。日本軍は背後からも攻撃を受けることになったのである。バー・モウのビルマ政府も崩壊の一途をたどってゆく。
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