東南アジア指揮地域の分離
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 07:14 UTC 版)
「インパール作戦」の記事における「東南アジア指揮地域の分離」の解説
第1回ケベック会談ではビルマ戦域の指揮権についても議論された。将来的にはインド指揮地域から切り離して東南アジア指揮地域(英語版)を設定し、その範囲をビルマ、セイロン、タイ、マレー半島、スマトラを包含することとし、米軍より副最高指揮官(Deputy Supereme Commander)を迎え、最高指揮官と連合幕僚長会議との間に英国幕僚長会議(英語版)を挟むこととなった。同会談での第2回全体会議の最終報告では下記のように述べられている。 スティルウェル将軍は東南アジア指揮地域の連合軍副最高指揮官となり、その資格で、ビルマに向かって作戦する中国軍と、東南アジア指揮地域におくことを許される米国の航空部隊と地上部隊とを指揮する。 ビルマに向けて作戦する中国軍の作戦指揮権は、英国陸軍の全般的計画に従って、連合軍最高副指揮官または中国軍と同所にいる彼の代表者によって行使される。 — 第1回ケベック会談連合幕僚長会議最終報告 これに従って1943年8月25日、チャーチルはマウントバッテンを東南アジア連合軍最高指揮官に任命した。
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