ビルマ独立以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 03:01 UTC 版)
1945年8月にタイ王国を経由して日本へ亡命し、新潟県南魚沼郡石打村(現南魚沼市)の薬照寺に陸軍中野学校出身の将校たちの協力により身を潜める。当地では英語を教授する一方、日本語を学習した。12月に自ら連合国の占領軍(イギリス軍)に出頭した。翌年に特赦されビルマに帰国するが、1947年にアウンサン暗殺に関与したとして一時拘束された。 1948年1月にイギリスからビルマが独立した後に一時政界に復帰するが、1950年代以降のネ・ウィンの軍事政権下では拘禁された。拘禁中はビルマ国時代の回顧録を執筆し、1968年に釈放された。釈放後は政治活動から引退して隠棲し、1977年にラングーンの自宅で死去した。
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