ビルマ航空戦とは? わかりやすく解説

ビルマ航空戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 21:15 UTC 版)

加藤隼戦闘隊」の記事における「ビルマ航空戦」の解説

詳細は「一式戦闘機#ビルマ航空戦」を参照 各地制圧した64戦隊1942年3月21日からビルマ戦線(「ビルマ航空戦」)に参戦以後、主にイギリス空軍およびアメリカ陸軍初期フライング・タイガース(AVG)を含む)と交戦し同月23日には損害無くハリケーン1機を撃墜(第136飛行隊ブラウン少尉機)し同戦線における初戦果収めている。このビルマ航空戦に第64戦隊および飛行第50戦隊長期間従軍しまたエース・パイロット多数輩出一式戦主力とし大戦末期に至るまで連合軍空軍互角戦い繰り広げた。 第64戦隊一式戦1942年6月4日までの空戦で最低でも連合軍10撃墜協同撃墜のB-17E 1機を含む)、損害11喪失撃墜連合軍機の機種内訳戦闘機6機・爆撃機4機で、一式戦10喪失P-40よるものであった

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ビルマ航空戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 23:53 UTC 版)

スーパーマリン スピットファイア」の記事における「ビルマ航空戦」の解説

詳細は「一式戦闘機#ビルマ航空戦」を参照 イギリス空軍ビルマ制空権スピットファイアによって獲得されたとその性能高く評価したイギリス空軍公刊戦史によると、スピットファイア日本軍機相手のキルレートは8対1であり、スピットファイアなくしてイギリス軍勝利はなかったとしている。一例上げるとニュージーランド撃墜王アラン・パートは単機飛行場襲撃した日本軍20機相手に40分間互角以上に戦い、1機を撃墜するという凄まじい戦果上げたオーストラリア防空戦の後の1943年後半背後イギリス領インド帝国を持つ極東太平洋戦域におけるイギリス空軍主戦場であり、中華民国内に拠点を持つ同盟軍アメリカ陸軍航空軍と共に日本陸軍航空部隊対峙するビルマ戦線(「ビルマ航空戦」)に、ハリケーンの後続としてスピットファイア投入された。チッタゴン飛行場配備されスピットファイア3個中隊は一〇〇式司偵3機を初陣落とした。同方面でのスピットファイア本格的交戦1943年11月22日である。当時日本陸軍飛行第50戦隊飛行33戦隊一式戦「隼」22機が、イギリス空軍基地であるチッタゴン飛行場侵攻現地RAFレーダー来襲探知しスピットファイア10機とハリケーン57機を迎撃揚げた。しかし、スピットファイアMk.V 1機(第615飛行隊レオナード少尉機)とハリケーン1機(第146飛行隊グリフィス軍曹機、水田不時着)が一式戦「隼」一方的に落とされRAF狙った一式戦「隼」撃墜することは出来ず日本陸軍戦闘隊は喪失なく全機無事に帰還したRAF側はレーダー来襲探知し、約3倍と圧倒的な数の戦闘機邀撃出来たかかわらず、ビルマ航空戦で初陣飾ったスピットファイアまたしても登場早々一式戦一方的に撃墜された。 同年12月5日日本軍戦爆連合をもってイギリス領インド帝国カルカッタ爆撃する龍一号作戦実施した。(本作戦は、ビルマでの航空作戦担当する日本陸軍航空部隊のみならず少数ながら日本海軍航空部隊参加し零戦および一式陸上攻撃機投入されている。) 侵攻先立ち各地飛んでいた一〇〇式司偵チャフ散布し日本軍マグエ飛行場群からは飛行第64戦隊、第33戦隊飛行204戦隊一式戦74機と飛行98戦隊九七式重爆撃機17機、続いて第三三一海軍航空隊零戦27機、第七〇五海軍航空隊一式陸攻9機が出撃カルカッタ目指した。侵攻途中で258飛行隊ハリケーン奇襲を受け九七重爆1機を喪失するも、援護する一式戦「隼」はこれを撃墜、また爆撃自体成功し任務成功収めた。この迎撃戦イギリス空軍スピットファイア1機とハリケーン10機を喪失一式戦「隼」このうちスピットファイア1機とハリケーン7機を撃墜零戦ハリケーン3機のみを撃墜日本軍戦闘隊に喪失無く一方的な戦闘であった1943年12月31日には日本軍戦爆連合アラカン南部爆撃12機のスピットファイア迎撃日本軍は5機の重爆失い1機の戦闘機失った1944年1月15日スピットファイア中隊日本軍送り込んだ単発戦闘機全て撃墜16大破5、損害19機)を撃破した1944年1月15日に、各中隊にわかれ、8機ずつモンドウ等に順次制空を行う予定だった飛行第64戦隊一式戦「隼」24機は、的確な管制導かれスピットファイア交戦、2機を撃墜したものの、開戦以来古参も含む5機が撃墜され64戦隊開戦以来大打撃被った1月20日に、飛行204戦隊一式戦「隼」スピットファイアMk.V 2機を撃墜(第607飛行隊ソール准尉機・ケネディ軍曹機)し3機を撃破日本陸軍損害は1機不時着のみ。また2月5日は、第64戦隊一式戦「隼」損害無くスピットファイア1機(第136飛行隊カーロン曹長機)とハリケーン2機(第11飛行隊ブライト中尉機・コーベット軍曹機)を撃墜した2月13日飛行第64戦隊一式戦「隼」英軍弾薬集積所攻撃上空直掩をしていた隼がスピットファイア戦闘損害与えることはできず、1機を喪失した3月17日午後に204戦隊15機でモーニン飛行場攻撃し、第81飛行隊のうち、かろうじて地上攻撃免れたスピットファイア2機と交戦、1機を喪失するも、エースかつ指揮官機たるスピットファイア1機を撃墜(第81飛行隊長ホワイタモア少佐機)、離陸態勢の1機を撃滅(クールーター大尉機、炎上)、さらに2機を地上破壊している。 4月17日25日両日において、飛行第64戦隊一式戦「隼」スピットファイア交戦損害与えることができず、1機が被弾により飛行継続困難となり自爆、1機が撃墜されている。 5月6日飛行50204戦隊25機で8戦隊の双軽3機を護衛していたが、迎撃にあがった607飛行隊スピットファイア12機と交戦損害与えることはできずに一式戦「隼」1機が撃墜され、続く11日64戦隊スピットファイア交戦し一方的に1機撃墜された。同月14日にも、各戦隊から5機ずつ選抜され15機がスピットファイア交戦、4機を被弾損傷させたものの、1機が撃墜された。 6月17日、本来の航路外れたウェリントン撃墜した50204戦隊の隼計14機は、緊急出動した第607、615飛行隊スピットファイア交戦、1機を撃墜したものの、「P-38撃墜王」と呼ばれた五十嵐機を含む6機が一挙に撃墜されている。これは、隼がインパール作戦協力した最後の戦闘であった1943年7月2日から1944年7月30日の期間、ビルマ戦線における空戦日本陸軍一式戦「隼」連合軍135機を確実撃墜し対す空戦損害83喪失のみ。撃墜連合軍機の機種内訳戦闘機70機、爆撃機32機、輸送機33機に上り戦闘機詳細ハリケーン24機、スピットファイア18機、P-51 15機、P-38 8機、P-40 4機、P-47 1機。逆に一式戦「隼」撃墜した連合軍戦闘機詳細ハリケーン3機、スピットファイア16機、P-51 12機、P-38 13機、P-40 14機、スピットファイアまたはハリケーン3機等となる。 日本軍劣勢大戦後期においても、ビルマ日本陸軍航空部隊強力な連合軍空軍互角勝負を、時には勝利を収めており、一式戦「隼」スピットファイアもまた撃墜、被撃墜機数ではほぼ同等であるなど、名実ともに互角上の関係であった[要出典]。 1944年12月11日に、第273飛行隊スピットファイアMk.VIII 12機はモンドウ地上攻撃から帰還中である第64戦隊一式戦28機と交戦一式戦「隼」撃墜することは出来ず1機が撃墜された(第273飛行隊バリオン准尉機)。一方で1945年1月9日アキャブ沖の連合軍艦船攻撃来襲した第64戦隊一式戦と第50戦隊四式戦闘機疾風」を、レーダー管制導かれスピットファイア襲撃、第64戦隊長江藤豊喜少佐機やエース山本隆三軍曹機を含む計4機の一式戦「隼」一方的に撃墜する戦果残している。 大戦末期となる1944年8月18日から、日本の敗戦間際1945年8月13日の約1年間にかけてビルマ初めとする東南アジア方面イギリス領ビルマフランス領インドシナマレーインドネシア、タイ王国等)を担当する日本陸軍第3航空軍戦域において、一式戦「隼」連合軍63機を撃墜(このほか一式戦撃墜した可能性がある未帰還9機が存在し、それを含めた場合連合軍72機を撃墜)、対す空戦損害61喪失記録撃墜連合軍機の機種内訳戦闘機14機(18機ないし19機)・爆撃機32機(36機ないし37機)・輸送機17機に上り戦闘機詳細P-47 4機、スピットファイア3機、P-38 2機、F4U 2機、P-51D 1機、F6F 1機、ハリケーン1機(先述一式戦撃墜した可能性がある連合軍帰還機の内訳は、戦闘機等がハリケーン3機、F4U 1機、爆撃機等がB-29 2機、PB4Y-1 1機、B-24 1機、ファイアフライまたはTBF1機)。逆に一式戦「隼」撃墜した連合軍戦闘機詳細スピットファイア7機、F6FまたはF4U 17機、P-38 11機、P-51 6機、P-47 6機であった

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