王権側の対抗措置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 22:35 UTC 版)
王は政治的・宗教的に最大の権力を持つものであるから、当然宰相に匹敵するほど大きな権限をもっているアメン大司祭の任命権も例外なく王が保有していた。しかし、この地位は祭司というよりもむしろ神殿の行政官としての役割が大きかったため、慣例として神殿行政にかかわりのある人物を選ぶことになっていた。かつては王権もこれに従い、婚姻関係を通じて王や宮廷と結びつけることで妥協していた。しかしながら、アメン神官団の権力伸長とともに、トトメス4世時代の"アメンエムハト"やアメンホテプ3世時代の"メリィプタハ"のように、王宮と私的な関係が全くなく、ただアメン神殿内において昇進し地位に就いた者が現れてきた。王はこれに対抗し、アメンホテプ3世時代の宰相"プタハメス"(メリィプタハの先任者)のようにアメン神殿と無関係な者をアメン大司祭に就けることに成功している。これらは、アメン大司祭の任命をめぐって王権と神官団に非常に激しい政治闘争があったことを示している。 この他にも、アメン大司祭に慣例として与えられた、全国の神官全体に対する監督権を持つ「上下エジプト神官長」の役職を全くアメン神殿と関係ない者に与えるなど対抗措置をとるなどしたが、その中でも特徴的なのが「アテン信仰」を始めとする他信仰の養成である。
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