王権神授説の提唱
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ヨーロッパの中世末、封建領主のもとに隷属する農奴を主たる労働力としてきた荘園経済はゆきづまりを見せてきた。危機に陥った貴族や聖職者などの封建領主層はさまざまなかたちで巻き返しを図ったが、他方ではアメリカ大陸から銀が大量に流入することなどによって貨幣経済が進行し、新興の市民階級が台頭してきた。しかし、その市民階級も単独で政治や社会を動かす力はなかった。こうしたなかで、王権は市民階級の力を一部取り込み、封建領主を臣僚化し、国外的には常備軍を設けて教権や皇帝権に対抗しながら国内的には封建勢力の抵抗を抑えようとした。このようにして展開された絶対王政であったが、実際には微妙な均衡の上に立っており、みずからの支配権は神によって授けられたものであるという王権神授説によって、自己の権力の正当化をはかった。 「絶対王政」も参照 王権神授説を信奉した君主としては、イングランドのジェームズ1世(スコットランド王としてはジェームズ6世)とその息子チャールズ1世や、フランスのルイ14世が有名である。なかでもジェームズ1世はみずから『自由なる君主国の真の法』(1598年)という論文を書いており、ここでいう「自由なる君主国」とは、王は議会からの何の助言や承認も必要なく、自由に法律や勅令を制定することができるという意味である。ジェームズ1世は、1609年のイングランド議会でも「王が神とよばれるのは正しい。そのわけは、王が地上において神の権力にも似た権力をふるっているからである。……王はすべての臣民のあらゆる場合の裁き手であり、しかも神以外のなにものにも責任を負わない」と演説した。 王権神授説をはじめて唱えたのは、16世紀フランスの法学者・経済学者として知られるジャン・ボダン(1530 - 1596)であった。フランス国内を二分した宗教戦争であるユグノー戦争(1562-98年)のさなかにボダンが著した『国家論』(1576年)では王権神授説をふくむ近代的な主権論が説かれている。 イングランドにおいてもロバート・フィルマーが『父権論(Patriarcha)』(1680年)において「国王の絶対的支配権は人類の祖アダムの子どもに対する父権に由来する」との論を展開している。 ジャック=ベニーニュ・ボシュエ(1627-1704)は、フランス教会の独立を擁護し、『哲学入門』・『世界史叙説』・『棺前説教集』等の著書で知られる思想家であり、宮廷説教師として知られる。その概要は、ルイ14世の王太子に講義した一節に端的にあらわれるとされており、『世界史叙説』(1685年)においても、「神は国王を使者としており、国王を通じて人びとを支配している。……国王の人格は神聖であり、彼にさからうことは神を冒涜することである」との記述が見られる。この王権神授説の理論的根拠としては、新約聖書の『ローマ人への手紙』13章が考えられている。
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王権神授説の提唱
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ボシュエは、フランス教会の独立を擁護し、ルイ14世の宮廷説教師として、専制政治と王権神授説を支持したことで知られる。『世界史叙説』(1685年)では「神は国王を使者としており、国王を通じて人びとを支配している。……国王の人格は神聖であり、彼にさからうことは神を冒涜することである」[要出典]という王権神授説を展開している。
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