王権観の変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 22:35 UTC 版)
第1中間期の社会革命と絶対的であったはずの王権の失墜は、エジプト人の王権観の上に大きな影響をもたらした。王も人間であり、誤りやすい存在であることが認識され、批判の対象にすらなった。つまり、王の地位は権利のみならず、義務と責任を持つものであると考えられるようになった。具体的には、古王国時代には王には、「権威」と「悟性」に加えて、「正義(マアト)」が要求されるようになった。古王国崩壊以前では王の行動そのままがマアトであると考えられていたが、革命以降、王には国や人々を豊かにする責任があるとされるようになった。これより、屋形 (1969)によると、王は「造物主が彼に監督を委ねた全人類を油断なく見張るよき牧人」であるとの王権観が成立したという。この第1中間期後期に成立した「王=よき牧人」とする新しい王権観は、中央集権国家に君臨する神王の理念が復活した中王国時代においても存続した。 このような王権観の形成理由の1つとして、屋形 (1969)は世襲貴族に対抗して中央集権化しようと試みる王権が「庶民」の支持を獲得しようとしたことを挙げる。治安状態が極めて悪かった第1中間期においては、庶民はみずからの安全確保のために防御システムが存在する町に集住するようになった。王はその民たちに一定の法的地位を与え、同業組合を組織させることによって国家の直接統制下におく政策を実行した。この民たちは財力を蓄え、文字を習得する者も現れた。そのような文字の知識を獲得し、王を主人と仰ぐ庶民を積極的に官吏に登用することにより、王は世襲的な貴族に対抗する自らの支持勢力を育成したのである。この点で中王国時代は「庶民国家」と呼ぶことができると屋形 (1969)は言う。
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