古王国とは? わかりやすく解説

エジプト古王国

(古王国 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 09:38 UTC 版)

エジプト古王国(エジプトこおうこく 紀元前2686年頃 - 紀元前2185年前後)は、古代エジプト史における時代区分。通常エジプト第3王朝からエジプト第6王朝までの時代を古王国と呼ぶ。なお、この区分は現代エジプト学による区分であり、古代エジプト人自身が初期王朝時代と古王国を区別していたわけではない。初期王朝時代の最後の王カセケムイは古王国の最初の王達と血縁関係を持つのみならず、首都や国家機構も含め、古王国は初期王朝時代の継続である。


注釈

  1. ^ 古王国の王朝は概ね第3王朝第6王朝、または第3王朝第8王朝のどちらかの分類が採用されている。前者の例としてフィネガン 1983、後者の例としてスペンサー 2009
  2. ^ 厳密にはピラミッド・テキストの登場は第5王朝最後の王ウナスのピラミッドからである。第6王朝の全ての王のピラミッドにピラミッド・テキストが残されている。
  3. ^ マネトは紀元前3世紀のエジプトの歴史家。彼はエジプト人であったが、ギリシア系王朝プトレマイオス朝に仕えたためギリシア語で著作を行った。
  4. ^ ノモスとはギリシア語に由来する語である。古代エジプト語ではセバトと呼ばれたが、現在一般にノモスという呼称で知られている。

出典

  1. ^ 『歴史』巻2 §124-§135(松平訳 1971, pp.240-248)
  2. ^ 畑守 1998, p.215,
  3. ^ 筑摩世界文学大系1 古代オリエント集』 pp.416-424
  4. ^ 屋形ら 1998
  5. ^ 畑守 1998, pp.227^228,
  6. ^ 屋形ら 1998, p.412
  7. ^ フィネガン 1983, pp.255-258
  8. ^ 古谷野 2003, p.260
  9. ^ 畑守 1998, p.216
  10. ^ 畑守 1998, pp.216-217
  11. ^ 畑守 1998, 217p
  12. ^ 畑守 1998, 224p
  13. ^ 吉村氏の階段ピラミッドと真正ピラミッドに対する見解は、参考文献『吉村作治の古代エジプト講義録 上』を参照。
  14. ^ 近藤 1997, p.95


「エジプト古王国」の続きの解説一覧

古王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/13 14:28 UTC 版)

メンフィス (エジプト)」の記事における「古王国」の解説

古王国時代メンフィスについては僅かにしか知られていない。この都市は神の如きファラオ王国首都であり、ファラオ達は第1王朝の時からメンフィス国家統治した。ただしマネト記録に従うならばメネス王の治世初期には玉座はより南のティニス(英語版にあったマネトによれば古代の記録では「白い壁」(イネブ・ヘジ)はメネスによって建設された。いくつかの文書では「白い壁の要塞」と呼ばれている。王は恐らく2つ対立していた王国から生まれた新たな統一王国をうまく統治するためにこの地を選んだであろう第3王朝ジェセル王のピラミッド複合体古代ネクロポリスであるサッカラにある。この王家葬祭殿は、王室必要なあらゆる施設神殿、社、法廷王宮兵舎)を備えていた。 その黄金時代第4王朝と共に始まった第4王朝ではメンフィス王都としての主たる役割はさらに強まった思われファラオ達はこの都市上下エジプト統一神聖な象徴である上下エジプト王冠授けられた。戴冠式セド祭英語版のような祝祭プタハ神殿挙行された。このようなセレモニーの最も初期痕跡ジェセル王の間で見つかっている。 またこの時代にはプタハ神殿神官達の影響力拡大した神殿重要性はこの時代王侯貴族葬儀必要な食料その他の物資の提供によって証明されている。この神殿パレルモ石記録され年代記中でも言及されており、メンカウラー王の治世から少なくてテティ王の治世まで、2人1組職務当たっていたと思われるメンフィス大司祭英語版)の名前が判明している。 この時代建造物第4王朝王家ネクロポリスであるギーザ見られるものと類似しており、この地での最近発掘で、当時王国にとって主要な関心王墓建設にあったことが明らかになっている。この見解強力に後押しするのが、第6王朝の王ペピ1世ピラミッド英語版)と一致するこの都市名前の語源である。メンフィス先行する時代記念碑多数備え長きわたってその芸術的建築的慣行継承した。 これらのネクロポリス全て王墓建設専門職人労働者居住するキャンプ囲まれていた。メンフィスあらゆる方向に数キロメートルわたって広がりテメノス聖域)で結ばれた神殿と、道路運河によって結ばれたと共にメガロポリス形成していた。都市の外周は徐々に広がって広大な都市形成された。その中心プタハ神殿複合体周辺であった

※この「古王国」の解説は、「メンフィス (エジプト)」の解説の一部です。
「古王国」を含む「メンフィス (エジプト)」の記事については、「メンフィス (エジプト)」の概要を参照ください。


古王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 15:06 UTC 版)

クフ」の記事における「古王国」の解説

クフ王葬祭儀式mortuary cult)は古王国の間続けられていた。第6王朝が終わる時点までに、少なくて67人の葬儀司祭ネクロポリスで働く6人の独立した役人死者の魂に仕えていた事が考古学的に証明されている。彼等のうちの10人は既に第4王朝末期勤務していた(うち7人は王族であった)。28人は第5王朝の間に、29人は第6王朝の間に勤務していた。これはクフ葬祭儀式際立った特徴である。クフ有名な(継)父スネフェルは同じ期間に18人の司祭から礼拝受けた同様にジェドエフラーは8人のみ、カフラー28人である。このような葬祭儀式国家経済にとって極めて重要であったなぜならばこの葬儀のために特別な領地設けられていたからである。だが、第6王朝終焉までこのような領地の数は急激に減った第7王朝始まりと共に領地の名前はもはや伝わらなくなった

※この「古王国」の解説は、「クフ」の解説の一部です。
「古王国」を含む「クフ」の記事については、「クフ」の概要を参照ください。


古王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/22 07:39 UTC 版)

ヒッタイトの歴史」の記事における「古王国」の解説

ヒッタイト王国を建国したのは、ハットゥシャ南北地域征服したラバルナ1世あるいはハットゥシリ1世いずれかとされている(これらが同一人物ではないかとする論争もある)。ハットゥシリ1世シリアヤムハドまで遠征して攻撃したが、その首都であるアレッポ攻め落とす事は出来なかった。彼の後継者であるムルシリ1世は、紀元前1595年戦役アレッポ征服した。また紀元前1595年ムルシリ1世ユーフラテス川下って襲撃行いマリバビロン陥落させた 。しかしながらヒッタイト外征国内紛争により中止され、軍はヒッタイト本国引き揚げた。それ以降紀元前16世紀の間を通じてヒッタイトの王たちは王家争い、そして東に隣接するフルリ人との戦争により本国に止まらざるを得なかった。またシリアメソポタミアへの遠征により、アナトリア楔形文字による筆記が再び取り入れられたものとみられる。なぜなら、ヒッタイト文字先行するアッシリア人入植地時代文字とは明らかに異なっているからである。 ムルシリはハットゥシリ1世外征継続した。ムルシリの外征メソポタミア達し紀元前1531年にはバビロン略奪しさえもした。しかしムルシリは、バビロニアヒッタイト支配下組み込むというよりは、むしろバビロニア同盟国カッシート引き渡したようで、その後カッシート4世紀わたってバビロン支配する事になる。しかしながら、この長きにわたる戦役ハッティ資源浪費し首都無政府状態のまま放置された。ムルシリは帰国後すぐに暗殺されヒッタイト王国は混乱状態に陥ったチグリス川ユーフラテス川の上流部の山地に住むフルリ人は、この状況利してアレッポその周辺地域掌握し、さらにアダニヤ(Adaniya)の沿岸地域獲得してキズワトナ(英語版)(後のキリキア)と改称したこの後ヒッタイト弱小期に入り文献記録途絶え傑出した君主もなく、その支配領域縮小した。強い王の下での拡張と、弱い王の下での縮小というこのパターンヒッタイト王国の500年歴史を通じて何度も何度も繰り返された。このため衰弱期の事象歴史正確に組み立てる事は難しい。この頃ヒッタイト古王国政情安定一因は、その頃ヒッタイト王権あり方により説明できる紀元前1400年以前ヒッタイト古王国では、ヒッタイト王ヒッタイト市民からエジプトファラオのような生き神様」と見なされていたのではなく、むしろ平等市民の中の第一位の者と見なされていた。 ムルシリ1世から数代経た君主テリピヌ紀元前1500年ごろ)である。彼は南西方面フルリ人の国の一つであるキズワトナ(英語版)と同盟して別のフルリ人の国(ミタンニに対して何度勝利したようである。

※この「古王国」の解説は、「ヒッタイトの歴史」の解説の一部です。
「古王国」を含む「ヒッタイトの歴史」の記事については、「ヒッタイトの歴史」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「古王国」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「古王国」の関連用語

古王国のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



古王国のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエジプト古王国 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのメンフィス (エジプト) (改訂履歴)、クフ (改訂履歴)、ヒッタイトの歴史 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS