古琉球の仏教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 08:29 UTC 版)
『琉球国由来記巻十』の「琉球国諸寺旧記序」によれば、英祖の治世、咸淳年間(1265年〜1274年)に国籍不明の禅鑑なる禅師が小那覇港に流れ着いた。禅鑑は補陀落渡海僧であるとだけ言って詳しいことは分からなかったが、時の英祖王は禅鑑の徳を重んじ、これを開基として浦添城の西に補陀落山極楽寺を建立した。「琉球国諸寺旧記序」は、これが琉球における仏教のはじめとしている。禅鑑の国籍について、鳥越憲三郎は『琉球国由来記』の記述に従い国籍不詳としており、また多田孝正は南宋の僧侶である禅鑑体淳に琉球への仏教伝来を仮託した可能性を指摘している。極楽寺は後の龍福寺となり、現在は廃寺となっている。 その後、察度によって1368年(応安元年)に日本の頼重法印が来琉して勅願寺(現在の護国寺)を開き、真言宗を伝えた。 第一尚氏王統の尚泰久王の治世には京都から高僧・芥隠承琥が渡来した。芥隠は琉球における臨済宗の祖とも言うべき人物で、尚真王が1492年(明応元年)に円覚寺を創建するにあたって、芥隠を開基とした。円覚寺は琉球王家の庇護厚く、沖縄戦で焼失するまで琉球第一の巨刹として繁栄した。歴代国王の御後絵(肖像画)はすべて円覚寺に安置されていた。円覚寺、天王寺、天界寺を合わせて那覇三大寺といった。他に那覇の崇元寺も昔から有名である。 泰久王はまた、多くの梵鐘を鋳造させたが、中でも首里城正殿に掛けられていた万国津梁の鐘は有名である。「舟楫(しゅうしゅう)をもって 万国の津梁(しんりょう)となし 」という銘文には、海洋国家としての気概が示されているが、銘文の後半では仏教の興隆を謳っている。
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