芥隠承琥
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ナビゲーションに移動 検索に移動芥隠承琥(かいいんしょうこ、? - 1495年6月8日(明応4年5月16日)[1])は、室町時代の日本の禅僧。琉球王国に初めて臨済宗を伝えた。
概要
初めは京都・南禅寺の僧で、1450年(宝徳2年)、琉球へ赴き臨済宗を伝える[1]。第一尚氏・第二尚氏の両王統にまたがり、4人の王(尚泰久王・尚徳王・尚円王・尚真王)に仕えた。
尚泰久王は深く芥隠に帰依し、広厳寺・普門寺・天龍寺・崇元寺など多くの仏寺を建立するとともに、梵鐘を多く鋳造させ朝夕撞かせるほどであったが、その多くの銘文は芥隠によるものである[注釈 1]。
文正元年(1466年)7月28日に琉球国王の来朝使者として、足利義政邸で義政から直接に謁見されており、庭先に席を設けて、その上で三拝した。礼物は「進物」と呼ばれていた(『斎藤親基日記』)(『蔭凉軒日録』)[2]。
第二尚氏の廟として崇元寺を開いた。第3代の尚真王も深く帰依し、芥隠を開山として1492年、菩提寺として首里に円覚寺を建立した[注釈 2]。
芥隠は単に仏僧として活動するだけでなく、永く琉球に留まって王府顧問として日琉の貿易や外交にも従事し、そうした外交僧の代表的存在であった[4]。
脚注
注釈
出典
- ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus
- ^ 宮本義己「室町幕府と琉球使節―琉球船貢物点検問題の実相とその意義―」『南島史学』45号、1995年。
- ^ 円覚寺 (えんかくじ) - 『琉球新報』
- ^ 新城俊昭『琉球・沖縄史』東洋企画
関連項目
外部リンク
芥隠
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「まんが首里城ものがたり」の記事における「芥隠」の解説
泰久時代の僧侶。泰久に仏の道を導き、精神的な支えとなった。彼の指揮で万国津梁の鐘が完成する。金丸の革命後も、閑山の住職となった。
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