琉球における仏教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 08:29 UTC 版)
「琉球における信仰」の記事における「琉球における仏教」の解説
鳥越憲三郎は、日本と同様に、琉球においても仏教は国家安泰の保障、ないし実権者の実権擁護を願って入れられたものであったとしてる。しかし日本では時代の経過と文化の発展とによって政治的企図が破砕され、次第に本来の使命である民間信仰的なものへ還ったが、琉球では王国の崩壊まで寺院は国王およびその一族と共にあり、ついに民衆の信仰の対象となる時期を持たずして終わったと述べている。その一方で、御嶽に線香が供えられ香炉が設置されることが仏教の影響であることや、仏教信者でも定まった寺院の檀徒でもないのに位牌を安置する仏壇を備えるのは、王族の私寺における貴族風に倣ったためであると指摘している。 宮里朝光「琉球人の思想と宗教」によれば、琉球人は寛容で進取の気性に富んだので諸国と交易し、それらの国から多くの文化を取り入れたが、取り入れた外国文化は自国文化と融合させて独特の文化をつくったと述べ、仏教もその内容を琉球固有のものに変えたとしている。具体的には、琉球人は経文を知らず数珠も持たず、礼拝も祈る言葉も供物も琉球的で禅門で禁じた酒を供える。また、寺に祀る仏を神、寺を宮と言い、琉球の神と区別せず霊験あらたかな神として、御嶽を拝むのと差異なく拝むのだという。また、尚寧王の時代より中元節の行事に盆行事が加わり、慶長の役後に盆祭が盛大におこなわれたことが冊封使の記録からわかり、起源は不明だが仏教の影響により盆行事がおこなわれるようになったと述べている。さらに宮里朝光は、琉球は人間平等で現世主義であったため、仏教をただ国家鎮護として受け入れ、一般民衆のものにならなかったのも当然のことであると述べている。
※この「琉球における仏教」の解説は、「琉球における信仰」の解説の一部です。
「琉球における仏教」を含む「琉球における信仰」の記事については、「琉球における信仰」の概要を参照ください。
- 琉球における仏教のページへのリンク