琉球における為朝伝説
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1165年(長寛3年)3月に伊豆大島を脱出して鬼ヶ島に渡り、周辺の島々を征服したといわれる源為朝は、奄美の加計呂麻島を経由し沖縄本島北部の運天港に上陸した後、大里按司の妹と通じて後の舜天である尊敦を生んだとされる。琉球の為朝伝説に関する記述で最も古い文献は、月舟寿桂の『幻雲文集』(1572年)とされ、小葉田淳が最初に紹介した。しかし、『幻雲文集』によると、1527年(大永7年)頃に月舟が琉球の僧であった鶴翁に尋ねた際、舜天と為朝に関係する記述の内容は琉球において周知されていなかったと述べている。 薩摩侵入後の1650年に編纂された、『中山世鑑』の編集者である羽地朝秀は、いわゆる「日琉同祖論」を唱え、舜天と為朝伝説を合わせた人物であり、薩摩藩主・島津氏が「源氏」を称していることから、それにへつらった羽地の創作であると言われている。しかし、1605年(慶長10年)の袋中著『琉球神道記』に為朝伝説が記されており、日本の僧侶とはいえ、琉球で実際に活動していた僧侶による記述があるため、薩摩侵入以前からすでに琉球に当伝説はあった可能性があり、羽地朝秀の作為によるものと断定できない。小葉田はジョアン・ロドリゲスの『日本教会史』から、16世紀後半には為朝が琉球に渡来したという話が日本本土から琉球に伝わり、『琉球神道記』に琉球における為朝の記事が記されたとしている。 江戸時代には曲亭馬琴の『椿説弓張月』などに為朝伝説が取り入れられ、江戸で一大ブームを起こした。琉球処分後の1922年(大正11年)には、運天港近くに東郷平八郎の揮毫による「源為朝公上陸之跡石碑」が建立した。 『中山世鑑』の為朝伝説は、『保元物語』を基にしているが、東恩納寛惇は、『保元物語』が史実だとしても、どれほどの信頼性があるものか疑わしく、それを確かめる術はないとしている。しかし、加藤三吾が琉球の為朝伝説を否定した論文を発表した後の1906年(明治39年)から1908年(明治41年)にかけて、東恩納は計6本の反論文を書き上げ、どれも『中山世鑑』の舜天が為朝の子であるという記述は否定できないとする内容であった。東恩納は『おもろさうし』の中の一句を為朝の運天港上陸を詠ったおもろだと解して加藤に反論し、さらに伊波普猷と真境名安興も東恩納と基本的に同じ見解で、『中山世鑑』における為朝伝説の記事を否定してない。彼らが為朝伝説に関わる史記の記述を否定しなかった理由として、島村幸一は、舜天が源氏の血統を引き継いでいることで、「皇国」との関係を示唆し、琉球処分後に日本へ組み込まれた「沖縄」を擁護しようとしたのか、あるいは、為朝伝説が想像以上に琉球に定着していたのではないかと述べている。 沖縄県国頭郡今帰仁村の運天(うんてん)という地名があるが、為朝が「運を天に任せて」上陸した場所と言い伝えられ、「運天」となったとされ、また、琉球を離れた為朝を舜天とその母が帰りを待ちわびたとされる浦添市の牧港(まきみなと)は、「待ちみなと」に由来しているといわれている。しかし、古くから「運天」は「くもけな(雲慶名)」から、「牧港」は「まひなと(真比港)」から転訛した地名であって、為朝伝説による地名由来説は後世に付けられたものである。 なお、最近の遺伝子の研究で沖縄県民と九州以北の本土住民は、縄文人を基礎として成立し、現在の東アジア大陸部の主要集団とは異なる遺伝的構成であり、同じ祖先を持つことが明らかになっている。高宮広土(鹿児島大学)が、沖縄の島々に人間が適応できたのは縄文中期後半から後期以降であるとし、10世紀から12世紀頃に農耕をする人々が九州から沖縄に移住したと指摘するように、近年の考古学などの研究も含めて南西諸島の住民の先祖は、九州南部から比較的新しい時期(10世紀前後)に南下して定住したものが主体であると推測されている。2021年11月10日、マックス・プランク人類史科学研究所を中心とした、中国、日本、韓国、ヨーロッパ、ニュージーランド、ロシア、アメリカの研究者を含む国際チームが『ネイチャー』に発表した論文によると、宮古島市の長墓遺跡の先史時代の人骨をDNA分析したところ「100%縄文人」だったことが分かり、先史時代の先島諸島の人々は沖縄諸島から来たことを示す研究成果となった。また、言語学および考古学からは、中世(グスク時代、11世紀~15世紀)に九州から「本土日本人」が琉球列島に移住したことが推定でき、高宮広土(鹿児島大学)は、「結果として、琉球方言の元となる言語を有した農耕民が本土から植民した。著名な『日本人二重構造論』を否定するという点で大変貴重だ」と指摘している。
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