琉球における為朝伝説とは? わかりやすく解説

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琉球における為朝伝説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/01 07:37 UTC 版)

舜天」の記事における「琉球における為朝伝説」の解説

1165年長寛3年3月伊豆大島脱出して鬼ヶ島渡り周辺の島々征服したといわれる源為朝は、奄美加計呂麻島経由し沖縄本島北部運天港上陸した後、大里按司の妹と通じて後の舜天である尊敦を生んだとされる琉球の為朝伝説に関する記述で最も古い文献は、月舟寿桂の『幻雲文集』(1572年)とされ、小葉田淳最初に紹介した。しかし、『幻雲文集』によると、1527年大永7年)頃に月舟琉球の僧であった翁に尋ねた際、舜天為朝関係する記述内容琉球において周知されていなかったと述べている。 薩摩侵入後の1650年編纂された、『中山世鑑』の編集者である羽地朝秀は、いわゆる日琉同祖論」を唱え舜天為朝伝説合わせた人物であり、薩摩藩主・島津氏が「源氏」を称していることから、それにへつらった羽地創作であると言われている。しかし、1605年慶長10年)の袋中著『琉球神道記』に為朝伝説記されており、日本僧侶とはいえ琉球実際に活動していた僧侶による記述があるため、薩摩侵入以前からすで琉球に当伝説はあった可能性があり、羽地朝秀作為よるもの断定できない小葉田はジョアン・ロドリゲスの『日本教会史』から、16世紀後半には為朝琉球渡来したという話が日本本土から琉球伝わり、『琉球神道記』に琉球における為朝記事記されたとしている。 江戸時代には曲亭馬琴の『椿説弓張月』などに為朝伝説取り入れられ江戸で一大ブーム起こした琉球処分後1922年大正11年)には、運天港近く東郷平八郎揮毫による「源為朝上陸之跡石碑」が建立した。 『中山世鑑』の為朝伝説は、『保元物語』を基にしているが、東恩納寛惇は、『保元物語』史実だとしても、どれほど信頼性があるものか疑わしく、それを確かめる術はないとしている。しかし、加藤吾が琉球の為朝伝説否定した論文発表した後の1906年明治39年)から1908年明治41年)にかけて、東恩納は計6本の反論文を書き上げ、どれも『中山世鑑』の舜天為朝の子であるという記述否定できないとする内容であった東恩納は『おもろさうし』の中の一句為朝運天港上陸を詠ったおもろだと解して加藤反論し、さらに伊波普猷真境名安興東恩納基本的に同じ見解で、『中山世鑑』における為朝伝説記事否定してない。彼らが為朝伝説関わる史記の記述否定しなかった理由として、島村幸一は、舜天源氏血統引き継いでいることで、「皇国」との関係を示唆し琉球処分後日本組み込まれた「沖縄」を擁護しようとしたのか、あるいは、為朝伝説想像以上琉球定着していたのではないか述べている。 沖縄県国頭郡今帰仁村運天うんてん)という地名があるが、為朝が「運を天に任せて」上陸した場所と言い伝えられ、「運天となったとされ、また、琉球離れた為朝舜天とその母が帰り待ちわびたとされる浦添市牧港(まきみなと)は、「待ちみなと」に由来しているといわれている。しかし、古くから「運天」は「くもけな(慶名)」から、「牧港」は「まひなと(真比港)」から転訛した地名であって為朝伝説による地名由来説後世に付けられたものである。 なお、最近遺伝子研究沖縄県民九州以北本土住民は、縄文人基礎として成立し現在の東アジア大陸部の主要集団とは異な遺伝的構成であり、同じ祖先を持つことが明らかになっている。高宮広土(鹿児島大学)が、沖縄島々人間適応できたのは縄文中期後半から後期以降であるとし、10世紀から12世紀頃に農耕をする人々九州から沖縄移住した指摘するように、近年考古学などの研究含めて南西諸島住民先祖は、九州南部から比較新し時期10世紀前後)に南下して定住したものが主体であると推測されている。2021年11月10日マックス・プランク人類史科学研究所中心とした、中国日本韓国ヨーロッパニュージーランドロシアアメリカ研究者を含む国際チームが『ネイチャー』に発表した論文によると、宮古島市長墓遺跡先史時代人骨DNA分析したところ「100%縄文人」だったことが分かり先史時代先島諸島人々沖縄諸島から来たことを示す研究成果となったまた、言語学および考古学からは、中世グスク時代11世紀~15世紀)に九州から「本土日本人」が琉球列島移住したことが推定でき、高宮広土(鹿児島大学)は、「結果として琉球方言の元となる言語有した農耕民が本土から植民した著名な日本人二重構造論』を否定するという点で大変貴重だ」と指摘している。

※この「琉球における為朝伝説」の解説は、「舜天」の解説の一部です。
「琉球における為朝伝説」を含む「舜天」の記事については、「舜天」の概要を参照ください。

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