琉球の五偉人一覧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 09:00 UTC 版)
各人の詳細についてはそれぞれの項目を参照のこと。 麻平衡・儀間親方真常中国から伝来したサツマイモの普及に尽力し、黒砂糖の製造法の習得と普及につとめる。尚寧王の日本行にも随行し、木綿織の技法を持ち帰った。琉球産業の恩人として知られ、那覇の世持神社に祀られる。 向象賢・羽地按司朝秀薩摩侵入後の琉球の政治方針を確定。政と祀を分離するなどの改革を行うほか、『中山世鑑』の編纂もおこなった。尚質王・尚貞王の摂政を勤め、王子位に昇る。琉球に「黄金の箍」を嵌めた人物。 程順則・名護親方寵文篤学者。琉球における最初の学校明倫堂創設の建議や、中国より持ち帰り『六諭衍義』を頒布するが、これが日本にも広まり江戸・明治期の庶民教育の基盤となった。 蔡温・具志頭親方文若三司官としてさまざまな政治改革を行い、琉球の発展に寄与した。史書編纂事業にも力をそそぎ、親子二代にわたって『中山世譜』を編纂している。 向有恒・宜湾親方朝保王朝時代末期の三司官として、琉球の近代化への扉を開いた。また私人としては和歌に親しみ、八田知紀に師事。当代きっての優れた歌人であった。
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