琉球の明倫堂
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程順則・名護親方寵文の建議により康熙57年(1718年)に久米村内(現在の那覇市久米二丁目二番)の孔子廟境内に創建された。琉球における最初の正式な教育機関。明倫堂では官話のほか経書の講解、詩文や表奏文などの外交文書の作成教授など上級教育を行い、それまで教育の場であった上天妃宮では北京官話や小学の素読など初等教育を行うようになった。 明治期まで学校として機能するが、その後廃止され沖縄戦で焼失した。跡地には記念碑が建てられている。また戦後、久米村人の子孫が構成する久米崇聖会によって那覇市若狭に同名の施設が再建された。現在は会議室や図書室として利用されている。
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