琉球への影響
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天保7年(1836年)正月、薩摩藩家老は鹿児島琉球館の在番親方に対し、幕府から唐物抜荷取り締まりに関する厳しい通達があり、もし幕府に抜荷が発覚したらどのような難題を持ちかけられるかわからないとして、琉球国内に幕唐物、松前産の俵物の密売買に対する厳しい取り締まりと違反者には厳罰を科すよう通告した。 この通告を受けた琉球王府は、まず天保7年(1836年)3月に三司官から薩摩側の通告を琉球国内の各担当部署に周知する措置が取られた。翌4月には中国からの帰国者に対する、唐物所有者の名前、品目、数量等をチェックするマニュアルが説明された。そして5月には間もなく中国から帰琉予定の接貢船1隻、漂流船2隻への対応を念頭に、輸入された唐物の検査、保管、個人用や土産、進物用の唐物の確認、そして売却用の引き渡し時の取り扱い等を定めた8項目の唐物管理規定を公布した。 そして漂流船の帰琉時にはこれまで例が無かったことであるが、三司官と薩摩側の琉球在番奉行が唐物抜荷警戒のため、那覇港近くの波之上護国寺に詰めることになった。そして漂流船の帰琉のうち1隻が那覇港ではなく別の場所に帰着したので、抜荷を行ったのではないかと船頭に対して厳しい事情聴取が行われ、中国からの荷物に対しても厳しいチェック、監視が実行された。このように琉球王国国内でも唐物抜荷を防止するための対応策が取られることになった。
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琉球への影響
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17世紀後半から18世紀にかけて活躍した詩人・儒学者の程順則は、琉球王朝時代の沖縄で最初に創設された学校である明倫堂創設建議を行うなど、琉球の学問に大きく貢献した。清との通訳としても活動し、『六諭衍義』を持ち帰って琉球に頒布した。この書は琉球を経て日本にも影響を与えている。
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