琉球への伝来と空手との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/09 00:07 UTC 版)
「白鶴拳」の記事における「琉球への伝来と空手との関係」の解説
明・清は琉球王国との交易港として福建省の福州を開港しており、古くから琉球と福建地域との間には、人的、文化的交流があった。琉球には「沖縄伝武備志」という白鶴拳の武術書が残されているが、どういう経路で入ったのかには諸説がある。呉賢貴導入説、宮城長順輸入説などがある。 今日、空手のルーツについて、琉球空手の三大系統のうち、那覇手は、中国拳法の影響を強く受けて発展したと考えられている。ちなみに明・清との交易港として琉球王国が開港していたのは那覇港だった。那覇手の中興の祖である東恩納寛量は、中国福建に渡り中国拳法を習得したと伝わるが、近年では、東恩納の経歴の信憑性には種々の疑問が持たれているので、直接的な伝系があったかを証明するのは難しい。沖縄に拠点を置く金硬(キンガイ)流唐手術は、白鶴拳の影響を認めている。 白鶴拳との関係は不明であるものの、上地流空手の祖師上地完文は福建省福州にて周子和にパンガイヌーン(半硬軟)と呼ばれる拳法を学んでいる。また、上地流にも周子和伝の「三戦」が伝えられている。しかし、上地流は一般には虎拳と見なされている。
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