向象賢とは? わかりやすく解説

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しょう‐しょうけん〔シヤウシヤウケン〕【向象賢】

読み方:しょうしょうけん

1617〜1675]琉球王国政治家。向象賢は唐名羽地朝秀(はねじちょうしゅう)ともいう。王族出身といわれ、尚貞王摂政つとめた琉球最初史書中山王鑑」を編纂(へんさん)。


羽地朝秀

(向象賢 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/20 09:31 UTC 版)

羽地 朝秀(はねじ ちょうしゅう、1617年6月6日(琉球年号:尚寧29年、日本年号:元和3年、中国()年号:万暦45年丁巳5月4日) - 1676年1月5日(琉球年号:尚貞7年、日本年号:延宝3年、中国()年号 康熙14年乙卯11月20日[注釈 1])は、琉球王国政治家。1609年の薩摩島津氏の侵攻以降の琉球を、薩摩島津氏や将軍権力への従属を前提としつつ、首里王府を主体した国家運営機構を確立すべく種々の改革を行った人物[1]




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