沖縄県の門中
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 23:35 UTC 版)
門中は、17世紀後半、琉球王府による士族の家譜編纂の開始以降、士族階層を中心に沖縄本島中南部で発達してきた。本島南部では「ハラ」ともいう。琉球王国時代、士族は、門中ごとに共通の姓(唐名の姓)、また大和名の名乗頭(名の最初の一字)を持もっていた。例えば、向象賢、羽地按司朝秀の場合、「向」は第二尚氏の按司以下の親族の姓、「朝」は名乗頭である。 門中で共同の墓(門中墓、いわゆる亀甲墓あるいは破風墓)をもち、かつては同一の墓に入った。門中の結束は固く奨学金を出し合ったり、託児所を作ったりもする。女性の側から見れば、女性が門中を継げないなど、現在の一部の視点から見れば、差別的な制度とも考えられる。現在は、門中意識は次第に薄まってきている。
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