謝名利山とは? わかりやすく解説

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謝名利山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/22 04:16 UTC 版)

謝名 利山(じゃな りざん、嘉靖28年/天文18年〈1549年〉- 万暦39年/慶長15年9月19日1611年10月24日〉)は、琉球王国の政治家。三司官として対日本外交で強硬姿勢をとり、1609年琉球侵攻の後、処刑される。 謝名親方(じゃなうぇーかた)の呼び方で一般に知られる。唐名は鄭迵(ていどう)。


注釈

  1. ^ 「本年(万暦33年)。法司翁寄松。被鄭迵讒貶。爲百姓。翌年丙午。鄭迵繼任其職。」
  2. ^ 日付は「喜安日記」による。
  3. ^ 処刑の際番兵二名を道連れに釜茹の釜に飛び込んだ。この行為に感動した尚寧王によって以来尚氏の家紋は左三つ巴(ヒジャイグムン)になったと言う言い伝えもあるが信憑性は低い。

出典

  1. ^ 「中山世譜」[注釈 1]
  2. ^ 「南聘紀考」
  3. ^ 「喜安日記」「琉球渡海日々記」「肝付兼篤書状」
  4. ^ 「南聘紀考」[注釈 2]
  5. ^ 「喜安日記」『日本庶民生活史料集成』第27巻、611頁参照。


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