私人として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 03:35 UTC 版)
野口は「白黎生」を号(ペンネーム)とした。これはアントワープオリンピック出場者で結成した白黎会に由来する。白黎会とは、ベルギーの漢字表記「白耳義」から「白」、「黎明」という言葉から「黎」の字を取ったものであり、スポーツも社交界に出て交歓すべしという、野口の考えから生まれた会であった。白黎会のメンバーはオリンピックから帰国後、Hの字が入った揃いのトレーニングシャツを着てスポーツを楽しんだ。戒名「白黎院転輪法浩日源居士」にも白黎の文字が入っているのは、野口の生前の希望によるものである。 私生活では1917年(大正6年)に生駒豊子と結婚し、2男2女を授かっている。晩年の野口は、妻への恩返しとしてよく夫婦で旅行に出かけていた。子供に対しては「理解のあるパパ」であり、トランプで一緒に遊ぶ時にはねじり鉢巻きをして勝負に挑み、負けた時には罰ゲームでコーヒーを淹れたり、菓子を買いに行ったりしていた。渋谷・神泉町の自宅では家庭菜園を楽しみ、イチゴ・ブドウ・イチジク・モモなどを栽培していた。仕事も家庭もうまくいっていたため、やっかみ的な批判を浴びせる人もいたという。幸福な生活が周囲に知られた一方で、死の数日前には母の愛を知らないさみしさを付き添いの人々に語ったといい、人知れず苦悩を抱えていた一面もある。
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