白黎会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 05:32 UTC 版)
「1920年アントワープオリンピックの日本選手団」の記事における「白黎会」の解説
日本代表の面々は、この闘いを永遠に忘れず、日本のスポーツ発展に尽くすことを誓い、「白黎会」を結成した。白黎会とは、ベルギーの漢字表記「白耳義」から「白」、「黎明」という言葉から「黎」の字を取ったものであり、スポーツも社交界に出て交歓すべしという、主将・野口源三郎の考えから生まれた会であった。白黎会のメンバーはオリンピックから帰国後、Hの字が入った揃いのトレーニングシャツを着てスポーツを楽しんだ。野口は「白黎生」を号(ペンネーム)とし、本人の希望で戒名「白黎院転輪法浩日源居士」にも白黎の文字を入れている。最後の存命者は大浦留市で、1989年(平成元年)8月28日、93歳で逝去した。
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