帰国・晩年とは? わかりやすく解説

帰国・晩年(1947-1989)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/08 07:09 UTC 版)

大浦留市」の記事における「帰国・晩年(1947-1989)」の解説

日本に帰国した大浦は、1947年昭和22年1月から1950年昭和25年2月まで、高松女子商業高等学校現・高松中高等学校)で校長務めた校長時代1948年昭和23年11月には、香川県開かれる初めての日本全国レベルマラソン大会第2回金栗賞朝日マラソン」(後に福岡国際マラソンとなる)が高松市開催されるにあたり審判長務めた1950年昭和25年3月31日からは高松第一高等学校講師として教鞭執り始め1958年昭和33年4月1日からは同校非常勤講師となり同年9月30日まで務めた。また陸上競技関係では、香川陸上競技協会香川スポーツ陸上競技連盟顧問務めたほか、香川タートル協会会長(後に名誉会長)となるなど、長距離走指導者として活動した。プライベートでは娘が嫁ぐのを見送った後、知人勧めで中イシ再婚している。 1976年昭和51年)に大浦傘寿迎えたが、開拓者精神忘れず、英語に挑戦していた。この頃大浦通訳試験を受けに大阪出向いたが、娘が付き添っていたため、担当者に娘が受験生で、大浦付き添い人だと勘違いされた。また徳島県池田町(現・三好市)の白地温泉開かれた池田ジャンボーズ四国ゼミナール」という3泊4日の英語合宿86歳にして参加した際には出席者一同驚かせたというエピソードもある。 アントワープオリンピック日本代表結成した白黎会」の最後の生存者であった大浦は、1989年平成元年8月28日93歳で逝去した。生涯走りぬいた距離は、地球7周分に達した

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帰国 - 晩年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 23:10 UTC 版)

宇良田唯」の記事における「帰国 - 晩年」の解説

1933年に、唯は同仁病院の閉鎖により、中国見切りをつけて、静養兼ねて日本へ帰国し、郷里牛深開業した。この牛深での診療科眼科産婦人科であり、産婦人科眼科加えて当時天草で特に必要とされていた医学であった。唯はここでも中国と同様、貧しい者には無償接した。この牛深での開業時は、女医珍しさ名声により、島の内外から患者押し寄せたとの説と、逆に初老女医」との評判良くなかったため、患者は滅多に来なかったとする説がある。豪商であった生家も、唯の誕生時には徐々に陰り差し始めており、この当時にはすでに往時賑わいはなかった。 翌1934年昭和9年)に上京して池上洗足町(後の東京都大田区南千束)に「中村眼科医院」を開業した。この医院は唯自身が「隠居仕事」とも呼ぶほど小規模のもので、1日患者人数せいぜい1であったカルテ枚数も9止まりのため、唯は怪談皿屋敷真似て10満たないカルテを「1枚2枚……」と数え、「番町皿屋敷病院改名しようかしら」と、冗談飛ばして笑っていた。しかし医院借家50円に対して天津同仁病院貸し賃として200円の収入があったため、生活に不自由することはなかった。北里柴三郎門下赤痢菌発見知られる志賀潔癌研究所の稲田龍吉や、近隣中国人留学生たちとの交友もあった。 還暦迎えた後、長年わたって医療活動にその身を費やしたことで体を病み入院加療の身となった東京での開業翌々年1936年昭和11年6月18日池上洗足町の自宅で、稲田龍吉看取られつつ、肝癌により63歳死去した東京行われた葬儀には、吉岡彌生始め当代一流医学者たちが参列し志賀潔漢学者漆山又四郎友人総代務めた遺骨長崎県島原町で夫の常三郎と共に葬られた後、分骨牛深小学校近隣の山頂に、父と共に葬られた。 中国深く関りをもった唯は、「日本支那中国)が戦争にならなければいいのに」と、日中の関係を最期まで憂いていたが、その願いも叶わずに日中戦争開戦したのは、奇しくも死去翌年のことであった

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