帰国・政界進出 (1805年-1808年)
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「アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)」の記事における「帰国・政界進出 (1805年-1808年)」の解説
1805年9月にイギリスに帰国した。 フランス第一統領ナポレオンが地中海の覇権をイギリスから奪うべくマルタ島を狙い、これに反発したイギリス政府が1803年5月にフランスに宣戦布告したことでナポレオン戦争が勃発していた。アーサーも帰国して間もない1805年12月には第33歩兵連隊付き旅団長としてエルベ川に出征したが、翌1806年2月には再帰国している。 4月にキャサリン・パクナム(英語版)に再び求婚し、今度は受け入れられた。1807年初頭には長男アーサー・ウェルズリーを儲けた。 1806年4月にはライ選挙区から出馬してトーリー党所属の庶民院議員に初当選し、政界進出を果たした。議員を務めながら、軍人の職務も引き続き果たした。 1807年春にはポートランド公爵内閣が発足し、サー・アーサーはそのアイルランド担当大臣(英語版)として入閣した。またこの時枢密顧問官にも列せられた。2年ほど在職するも、ナポレオン戦争従軍のために辞することになる。 1808年4月25日に中将(英語版)に昇進した。
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