帰国後の教育・研究 (1954-1969)
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アルジェリアで2年間、チュニジアで4年間教えた後、1954年10月、公教育省中央視学局勤務の後にバシュラールの後任としてソルボンヌ大学で科学哲学の講座を担当していたジョルジュ・カンギレムの勧めで帰国し、北部のアミアン(ソンム県)のリセに就任した。翌1955年に博士論文を執筆するために国立科学研究所(CNRS)の研修生になり、パリに戻って1959年まで研究と論文の執筆に専念し、同年に博士論文「ペルシア戦争末期からカイロネイアの戦いまでの古代ギリシアの哲学における歴史思想の形成」を提出。1961年に深夜叢書から『歴史の誕生 - ギリシアにおける歴史思想の形成』として刊行され、翌年に増補版『ロゴスとプラクシス - マルクス主義の理論的意義に関する研究』を発表した(著書参照)。論文提出後1969年までの10年間は、再び高等学校教員としてパリのリセ・サン=ルイ(6区)、リセ・ルイ=ル=グラン(5区)などの主にグランゼコール準備級で哲学を教えた。
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