帰国後の舞踊活動
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1934年 (昭和9) 1月に宮と江口は、東京に研究所を開く。3月には帰朝第1回公演を開催し、「手術室」や「タンゴ」などを演じ、多くの新聞雑誌に公演評が掲載された。彼らの舞踊は主題、身体技法、作舞法において、それまでの日本の西洋舞踊の流れを大きく変えるものであった。これについて舞踊史研究者の桑原和美は、「彼らの舞踊は単なる美しい夢物語やあるいは漠然としたイメージの想像世界ではなく、近代的な人間の意志や生き方を表現する一つの手段であることを示してみせた」と評している。 以降1935年 (昭和10) にかけて、彼らは二人の出身地である東北地方を中心に公演を重ねた。1936年 (昭和11) には満洲、1937年 (昭和12) には朝鮮半島(京城、大邱) および満洲でも公演している。1938年 (昭和13) 10月には江口・宮舞踊劇場旗揚げ公演として、火野葦平原作『麦と兵隊』が帝国劇場で上演された。
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