沖縄本島の祖霊信仰とは? わかりやすく解説

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沖縄本島の祖霊信仰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 10:06 UTC 版)

琉球神道」の記事における「沖縄本島の祖霊信仰」の解説

沖縄本島祖先崇拝盛んな土地として知られている。また、御嶽の節にあるとおり、氏祖村落守護神とされる桜井徳太郎沖縄本島独特の他界観念として後生(グソー)観をあげ、その一例として久高島後生観を取り上げている。それによれば久高島では墓地入口を新後生(ミーグソー)と称して、そこを生界と死界との境界だとし、7年後洗骨が終わると死者真の後生赴いて神へ昇化する久しく観念していた。新後生においては死者生前と同じ生活様式をとると考えられているため、新後生の墓廓は現世家屋と同じ形態備えている。鳥越憲三郎沖縄人の墓造り関し死後の生活に対す明る観念が墓造り対す悦び感情を抱かせていると推察し死後出来るだけ居心地良い住家ありたいという念願から私財のほとんどを惜しげなく投じて墓を造るのだと述べている。墓造り多額の費用投じることに関しては、桜井徳太郎1970年頃の沖縄本島北東部調査の際、部落人々豪壮大規模な造り競っている傾向報告している。王族士族亀甲墓17世紀後半から主として本島普及する最古のものは護佐丸の墓1686年)や伊江御殿墓1687年)など。 現在、沖縄本島における葬制火葬となっているが、太平洋戦争前に伝染病患者の死などの特別な場合除き土葬おこなわれていた。また、伊波普猷報告にあるとおり、明治時代までは風葬おこなわれていた。風葬明治時代行政から禁止されたが、久高島では1960年代まで行われていたことが確認されている。 また風葬に近い葬法では、1970年代まで宮古島洞穴葬がおこなわれていた。 風葬において遺体はまず崖(パンタ)や洞窟ガマ)に置かれて自然の腐敗待ち3年後5年後7年後など適当な時期見て洗骨して納骨する。日本本土では薄葬令646年)により庶民定まった墓地に葬むる慣習定着したのに比して琉球弧において崖や洞窟ガマ)は古来現世後生境界世界とされ、聖域であると同時に忌むものとされてきた。祖霊崇める一方で、「死」はあくまで「穢れ」と捉えられているのである。 また折口信夫琉球宗教によれば琉球では自分祖先でも死後七代目には必ず神になると信じられていたと述べ、『中山世鑑』ではこれを「七世生神(しちせいしょうしん)」と書いたと紹介している。さらに「琉球宗教によれば琉球では人が死ぬと屍体洞窟中に投げ込んで、その口を石で固めてその隙間塗りこむ風習があったが、七代経つと屍体入れるのをやめて別の場所に新墓所設けそれまで屍体入れていた洞窟を「神墓(くりばか)」と称する。「神墓」は「拝所(をがん)」となり、時代を経るに従って他の人々拝するうになる、と琉球では祖霊が神になることを紹介している。 死生観として、魂は神のいる異界ニライカナイ後述)より来て死んでまたそこへ帰り守護神となって集落へ還ってくると考える。このため祖霊を非常に敬い死後の世界後生(グソー)と称して、これも非常に現世生者近しいものとしてとらえている。また、琉球における仏教影響から旧暦8月には祖霊集落家族のもとへ帰ってくるという、お盆祭事を行う。なお、祭事日取り旧暦用いる。

※この「沖縄本島の祖霊信仰」の解説は、「琉球神道」の解説の一部です。
「沖縄本島の祖霊信仰」を含む「琉球神道」の記事については、「琉球神道」の概要を参照ください。

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