エレファンティネとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > エレファンティネの意味・解説 

エレファンティネ島

(エレファンティネ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/22 20:49 UTC 版)

エレファンティネ島西岸
ナバータート島(キッチナー島)から見たエレファンティネ島のヌビア人の村

エレファンティネ島ギリシャ語: Νησί Ελεφαντίνη, ラテン文字転写: Nēsí Ēlephantínēアラビア語: جزيرة الفنتين, ラテン文字転写: Gazīrat il-Fantīn)は、ナイル川の下流域にある川中島である。東側の対岸にアスワンの町がある。島の南端部には、主に新王国時代に建てられたクヌム神殿遺跡やナイロメーターの遺跡がある。なお、現地ではアスワーン島(Jazīrat Aswān[1])が正式な名称である。

エレファンティネ島はナイル川の第1急湍英語版を構成する無数の島や岩礁の1つであり、当該第1急湍の北端に位置する。古代エジプトの地理概念では、エレファンティネ島が上エジプトの南端であり、第1急湍を越えてナイル川をさかのぼるとそこは「ヌビア」と呼ばれる地域であった。また、エレファンティネ島には上エジプト第1行政区(ノモス)の州都が置かれた[2]

地理

エレファンティネ島はエジプトの南部に位置するナイル川の中洲となる島である[3]。南西から北東に長い島であり、ナイル川の第1急湍英語版(カタラクト、: cataract)の終端部を構成している。島の西側には、島全体が植物園になっているナバータート島(キッチナー島)がある[3]。南側には無数の小島や岩礁が浮かんでおり、東側の対岸にはアスワンの中心市街がある[2]。アスワンはもともとエレファンティネ島に従属する集落に過ぎなかったが、現在は都市化が進み、エレファンティネ島をその行政区の1つに取り込んでいる。

エレファンティネ島は観光業が盛んである。アスワンから島に橋は架かっていないが、渡し船ファルーカと呼ばれる三角帆の小型船に乗りナイル川を渡河できる[3]。主要な観光資源としては、島の南端にあるクヌム神の神殿跡のほか、サテト神殿アスワン博物館パームヤシの木で囲まれた2つの「ヌビア人英語版の村」、アスワン・ダム建設以前のヌビア人の日常生活を紹介するアニマリア博物館などがある[3]。島の北端部には大きなホテルがある[3]

地名

エレファンティネ島
ヒエログリフで表示
エレファンティネ島のサテト女神の神殿にあったファラオのレリーフ。ルーヴル美術館蔵。

エレファンティネ島には第11王朝第12王朝のレリーフがあるため、エジプト中王国時代にも記念碑が建てられたことが判明している。エジプトがヌビアを属領とした中王国時代には、ヌビアを支配するための行政庁がエレファンティネ島に置かれた[6]

エジプト新王国時代にもエレファンティネ島には数多くの神殿が建てられることになる。新王国時代の神殿がクヌムに捧げられた神殿である。その周りには、ハトシェプストトトメス3世の時代に建てられたアヌケト神に捧げられた神殿と、神殿と同じ様式でアメンホテプ3世の頃に建てられた商業施設が配置された[6]。時と共に街は大きくなり、ナイル川を越えて東側に拡がった。このナイル東岸の街は、のちにシュエネ(アスワンの古称)になった。

ネクタネボはクヌム神殿の修復をした。クヌムはナイル川の源流を守る神であり、急流の主である。クヌムの従神、アヌケトとサテトの神殿もまた、ネクタネボにより修復された。

プトレマイオス朝エジプトの時代には、エレファンティネ島と東岸シュエネを合わせた町はますます発展した。この頃、島の南岸にイシスを祀る神殿が建てられた。有名なエレファンティネ島のナイロメーターはこのイシス神殿のものである。なお、エレファンティネ島のナイロメーターの存在はよく知られているが、当時ナイル川に面したエジプトの神殿はどこも1つはナイロメーターを備えていた[8]

トトメス3世アメンホテプ3世の神殿は、19世紀まで見ることができたが、近代エジプトにおける工業化の必要性から、完全に取り壊されることになった。20世紀初頭にエレファンティネ島で発掘調査が行われ、古代ペルシアの統治下にあった時代(第31王朝)のアラム語パピルスが大量に見つかった(エレファンティネ文書)。これによると、紀元前6世紀までエレファンティネ島にはユダヤ人のコロニーがあり、クヌム神殿のそばに YHWH を祀る大きな神殿があったことがわかった[9]

周辺の遺跡

エレファンティネ島にある遺跡

初期の王朝の頃から、エレファンティネ島は「ノマルケス英語版」(νομάρχης 〈nomarchēs〉あるいはヘリー・テプ・アー)という地方長官が支配することになっており、古王国(第6王朝)から中王国第12王朝)までの時代の地方長官の墓が、島の東側の対岸に面した土手の斜面に作られている。この墓所は「クベット・エル=ハワ[10]」と呼ばれ、発掘調査がされている。

このノマルケスの墓所は、洞窟内にある地下墳墓である。第6王朝のメク (no 25) とサブニ英語版 (no 26) の二重墓のように、柱や支柱で支えられた非常に広い部屋もある。第12王朝のサレンプウト1世英語版の墓も広く、ベニー・ハサン村にある、彼が代理人を務めた王たちの墓に劣らないくらいである。墓には番号が付されており、サレンプウト1世の墓 (no 36)、ペピナクト・ヘカイブ英語版 (no 35d) 、サレンプウト2世英語版 (no 31) である。ナイル川の土手からクベット・エル=ハワに向かって、浮き彫りで飾られた参道が作られている。夜間はアスワンの町から見えるように参道が照明で照らされる。

クベット・エル=ハワの西、ナイル川から2キロメートルの小高くなった場所に聖シメオン修道院 (Deir Amba Samaan) がある。この修道院はエジプトがキリスト教化された時代の重要な遺跡の1つである。修道院は、高さ6-7メートルの壁で囲まれており、要塞化されている。壁は下の方が石でできていて上にレンガが積まれている。この修道院は紀元8世紀に建てられたエジプトで最も大きい修道院の1つである。壁の内側に入ると、高さの異なる3段のテラス状の敷地がある。最下段のテラスには3つのネフを有する教会が建っている。教会の建物は堂宇のほかは修道士が寝泊まりする部屋になっている。他のテラスには、料理をしたり買い物をしたりするための施設があり、屋台やオリーブを絞る施設もある。修道院は紀元12世紀には遺棄されたものとみられる。

出典

  1. ^ Jazīrat Aswān”. geoview.info. 2024年2月12日閲覧。
  2. ^ a b c d e Quelques grandes villes: Éléphantine” (フランス語). Antikforever.com. 2024年5月19日閲覧。
  3. ^ a b c d e Haag, Michael (2004). Egypt. New Holland Publishers. p. 332. ISBN 9781860111631. https://books.google.com/books?id=EgXqbGauz0kC&pg=PA332 2018年2月27日閲覧。 
  4. ^ 近藤二郎『エジプトの考古学』(改訂版)同成社〈世界の考古学④〉、2012年(原著1997年)、71頁。ISBN 978-4-88621-622-9 
  5. ^ a b スネイプ (2015)、36頁
  6. ^ a b c d e Elephantine”. Britannica. 2024年3月7日閲覧。
  7. ^ a b c d "ȝbw" in Faulkner, Concise Dictionary of Middle Egyptian”. Project Rossette. 2018年2月26日閲覧。
  8. ^ Meyboom, P. G. P. (1995). The Nile Mosaic of Palestrina: Early Evidence of Egyptian Religion in Italy. Brill. ISBN 90-04-10137-3. https://books.google.com/books?id=jyTFEJ56iTUC&pg=PA51 
  9. ^ van Hoonacker, A. (1915). Une Communité Judéo-Araméenne à Éléphantine, en Egypte, aux vi et v siècles avant J.-C, 
  10. ^ 甦る!エジプトに眠る財宝 特別版: 「古代エジプトの貴族 (原題: Riches & Rulers) 」”. National Geographic. 2024年2月12日閲覧。

参考文献

  • スティーヴン・スネイプ『ビジュアル版 古代エジプト都市百科 王と神と民衆の生活』大城道則 監訳、柊風舎、2015年(原著2014年)。ISBN 978-4-86498-028-9 
  • Jean-Marie Brunier, La Stèle. Histoire de la colonie juive d'Égypte, Toulouse, Athor Éditions, 2011 ISBN 978-2-9538171-0-2

座標: 北緯24度5分24秒 東経32度53分24秒 / 北緯24.09000度 東経32.89000度 / 24.09000; 32.89000




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「エレファンティネ」の関連用語

エレファンティネのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



エレファンティネのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエレファンティネ島 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS