カタコンベ
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カタコンベ(イタリア語:catacombe)とは、地下につくられた共同墓地のこと。キリスト教徒の集会の場としても使われた。ドゥラ・エウロポス(シリア)は、祭壇、教会堂、洗礼場がある、集会場としての代表例。[1]
概要
もとはローマのサン・セバスティアーノ・フォーリ・レ・ムーラ教会がある場所の地下に存在する埋葬場所のことを意味していた。周辺の地形「窪地のあたり」を意味するad catacumbasに由来する。その後、死者を葬る為に使われた洞窟、岩屋や地下の洞穴のこと全般を指すようになった。厳密には3、4世紀のローマやその周辺地方の地下墓所をカタコンベと呼ぶ。英語(catacomb)ではカタコームまたはカタクームといい、語尾のbは発音しない。イタリア語(catacombe)やドイツ語(Katakombe)ではカタコンベと発音される。フランス語(Catacombes)ではカタコンブに近い音になる。
有名な墓所
イタリア
- カプチン会修道士墓所 en:Catacombe dei Cappuccini シシリー島 パレルモ
- ローマ en:Catacombs of Rome(サン・セバスティアーノ・フォーリ・レ・ムーラ教会など)
- ローマ 骸骨寺 en:Santa Maria della Concezione dei Cappuccini
その他
類似のものとしてはトルコのアナトリア、北アフリカのスサ、イタリアのナポリ、ドイツのトリーア、ウクライナのキエフなどに存在する。
ウクライナやロシアのカタコンベは鉱石、石灰岩の採掘後のトンネルが使われており、クリミアや黒海沿岸に位置している。有名なものはオデッサやクリミア、アジムシュカイ(Ajimushkay)のものである。それらはソ連の第二次世界大戦のゲリラの基地としても使われた。Ajimushkay には10000人の兵士や難民が葬られている。その後、博物館として公開されているところもある。
音楽
- ヴィクトル・ハルトマンの絵画を基にしたといわれる、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」の一曲に、これを題名とする曲がある。
- レスピーギは、交響詩『ローマの松』の第2部で、「カタコンバ付近の松」を題材にしている。
脚注
- ^ 戸谷英世・竹山清明『建築物・様式ビジュアルハンドブック』株式会社エクスナレッジ、2009年、147頁。
関連項目
外部リンク
地下墳墓
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構造物の北面は水平な廊下で、 地平に入り口があり、構造の中心までまっすぐ伸びている。廊下は地下へと降りる回廊へと続き、この回廊には石灰岩が並べられ上部には11のアーチがあり、石柱で補強されている。回廊は、最終的には構造基部の中心にある玄室へと続く。 長方形の玄室は地下8.8メートルに位置し、長方形で3.5メートル×7メートルの大きさである。この壁は粗雑に加工された石灰岩ブロックでできており、おそらくは近郷の、より古いエジプト第6王朝期のネクロポリスから運ばれたものである。発掘作業中に発見された地下墳墓は完全に空であり、明らかに盗掘されており古代の内にほぼ破壊されていた。この為、実際にこの場所に誰が埋葬されていたか不明なままである。玄室の構造は、第3王朝までさかのぼるベイト・ハラフ(英語版)のK1・マスタバ墓と多くの共通点が見られる。
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