古エラム時代(古王国時代)
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「エラム」の記事における「古エラム時代(古王国時代)」の解説
原エラム時代とまとめて扱われる事もある。紀元前2700年頃のアワン王朝の成立から紀元前1600年頃のエパルティ(スッカル・マフ)王朝の滅亡まで頃とされる。この時代エラム地方はアッカド帝国やウル第3王朝の攻撃を受けて支配下に入っていたが、最後には逆にウルに侵攻してこれを破壊、略奪し、ウル第3王朝を滅亡させるに到った。文字記録が多く残され始める時代であるが、その後半期は衰退の時代であった。
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古エラム時代
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この時代から、メソポタミア側の歴史史料にエラムについての情報が載り始める。しかしその記述は多分に伝説的なものであり、編年を明らかにするのは不可能である。 シュメール伝説には、キシュの王エンメバラゲシがエラムを征服し戦利品を獲得したというものがある。また、ウルクの王エンメルカルはエラムに降伏を迫るためにエラムの領主エン・スフギル・アナ(英: En-suhgir-ana、エンスフケシュダンナ - Ensuhkeshdanna)へ使者を送り、エラムを服属させたというもの(『エンメルカルとエン・スフギル・アナ(英語版)』)もある。 古エラム時代のアワン王朝 (Awan dynasty) の王はシュメールを3代に渡って支配したと伝えられる。だがこれらの説話にどの程度史実が含まれているのかは全くわからない。アワン朝の後にはハマズィ朝が再びシュメールを支配したという。この他シュメールの都市国家の中にはその初期にエラムの支配を受けたという伝説を持ったものが少なくない。具体的な政治史の復元は困難ながら、シュメール時代の初期からエラム人がメソポタミアと接触を持っていたことは確実である。 飛躍的に情報が増えるのはエラムに侵攻してこれを支配したアッカド帝国と、その後のウル第3王朝時代からである。アワン朝(シュメールを支配したという王朝と同一であるかは不明)最後の王クティク・インシュシナクはウル第3王朝の創設者ウル・ナンムと同時代人であったと考えられる。彼はスサとアンシャンを征服して、イラン高原における初の統一的な政治勢力を形成した。しかしアワン朝は間もなくウル第3王朝のシュルギ王の攻撃を受けて崩壊した。 アワン朝と入れ替わるようにエラム史に登場したシュマシュキ王朝 は当初はウル第3王朝や異民族の間断無い攻撃に曝され弱小であったが、やがてウル第3王朝の弱体化に乗じて勢力を拡大し、ウル第3王朝は婚姻政策によってシュマシュキ朝を懐柔しようとするようになった。だがシュマシュキ朝が、全エラムを統合していたのかどうかはよくわかっていない。紀元前2004年シュマシュキ朝の6代目の王キンダトゥ(英語版)はウルを攻撃し、ウル第3王朝を滅ぼした。だが、既にウル第3王朝より離脱し、その実質的後継者となっていたイシュビ・エッラのイシン第1王朝によって破られ、ウルを奪回された。その後シュマシュキ朝はメソポタミア各地に成立したアムル系王朝と対立した。特にラルサなど南部メソポタミアの王朝はスサなどの支配権を再び確保しようとしてエラムと戦闘を続けた。 紀元前19世紀頃にはシュマシュキ朝にかわってエパルティ朝 (Epartid dynasty) がエラムの支配権を握った。この王朝はエラムの主要部分を含んでいたと考えられるが、3代目の王以降スッカル・マフ(ロシア語版)(シュメール語で大総督の意)という称号を用いており、メソポタミアの王朝と何らかの宗属関係があったかもしれない。また、ラルサではスサ北部の別のエラム人国家の王クドゥル・マブクがラルサ王ツィリ・アダド(英語版)を追放し、「アムルの父」を名乗ってその支配権を獲得するなどしていた。彼とその後継者はバビロン第1王朝のハンムラビ王の時代まで、たびたびバビロンと戦火を交えている。だが、こうしたエラム人のバビロニアでの影響力は長続きしなかった。 その後インド・ヨーロッパ系の集団や、カッシート人、フルリ人の移動などに伴う混乱によってか、エラムは混乱に陥ったらしく記録は少ない。だが、この時代にエラム各地にフルリ人が移住しており、エラムの諸都市にはフルリ人の王を頂く都市が多数出た。(バビロニア臣下の時代)
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