衰退の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 14:24 UTC 版)
1317年、修道士たちがロカマドゥールを去った。この地はその後、司教によって任命された司教座聖堂参事会によって運営されるようになった。14世紀、気候変動、飢饉、黒死病のような疫病がヨーロッパを襲った。1427年、再建が始まったが、もはや金融資源も人的資源もなかった。巨大な岩に押しつぶされてしまったノートルダム礼拝堂の再建は、1479年にチュール司教ドゥニ・ド・バルによって行われた。その後、ユグノー戦争中の1572年、新教側の傭兵たちがこの地域を通過した際に、宗教建築と聖人の遺物の破壊が引き起こされた。1563年にピウス4世へ出された請願書において、司教座聖堂参事会の聖職者は損傷についてこう記している。『なんという痛みでありましょう。彼らは大暴れしたのです。彼らは信仰のために必要であった全てのものに火をつけ、彫像や絵画、鐘、装飾品や宝石を略奪したのです。』聖アマドゥールのなきがらを含む、聖遺物が冒涜され破壊された。目撃者によれば、新教側の隊長ジャン・ベソニアは鍛冶屋のハンマーで壊しながらこう言った。『お前たちが燃やしたがらないから、俺が壊してやるのだ。』隊長ベソニアとデュラスは、コンデ公の軍に支持され、12世紀以来の聖母の宝物からなる合計2万リーブルもの資産を引き出したのである。 フランス革命の際、ロカマドゥールは再度略奪の対象となった。
※この「衰退の時代」の解説は、「ロカマドゥール」の解説の一部です。
「衰退の時代」を含む「ロカマドゥール」の記事については、「ロカマドゥール」の概要を参照ください。
- 衰退の時代のページへのリンク