ラナシェンサの背景
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1701年から1714年のスペイン継承戦争でカタルーニャ君主国はスペイン帝国のフェリペ5世に反抗したが、バルセロナ包囲戦の末に降伏した。1716年1月16日にはスペイン帝国によって新国家基本法(スペイン語版)が発令され、カタルーニャの伝統的慣習やフエロ(特権)などが抑制された。カタルーニャ地方は自治権を失った上に、公的な場でのカタルーニャ語の使用禁止などの報復措置を受けた。家庭などではカタルーニャ語が使用されていたが、詩や小説などの文学作品には使用されることのない俗語という立場に落ち込んだ。 一方で、スペイン継承戦争前からカタルーニャ人はスペイン帝国のアメリカ大陸貿易から除外されていたが、18世紀後半になると大陸貿易への参加が認められ、カタルーニャ地方の経済状況は徐々に上向いた。18世紀後半にはカタルーニャ語を再評価する動きが見えるようになり、19世紀初頭にはジュゼップ・パウ・バリョット(スペイン語版)が『カタルーニャ語の文法と擁護』(1814年)を、アントニ・プッチ・イ・ブランシュ(スペイン語版)がカタルーニャ語詩『カスティーリャのコムニダーデス』を、プラットが新約聖書のカタルーニャ語版を著した。ラナシェンサとムダルニズマは、スペイン継承戦争後から続いていたカタルーニャ文化の衰退の時代(ラ・ダカデンシア(スペイン語版))に終りを告げるものである。
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