ラナシェンサ後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/19 17:32 UTC 版)
1830年代から1840年代に始まった運動は、1880年代に他の文化的運動が派生するまで続いた。芸術・演劇・文学など、様々な形態でのカタルーニャ語の推進を通じて文化言語としての機能を完全に復興させるだけでなく、ラナシェンサ運動ではこの言語の規範化をも達成させようとしていたが、現代カタルーニャ語の完全な規範化は20世紀最初の四半期まで完遂されることはなかった。当初はRenaixensaと綴られていたが、後のムダルニズマ期にプンペウ・ファブラが現代カタルーニャ語の規範化を行い、Renaixençaと綴られるようになった。 19世紀末にはラナシェンサとはやや性格の異なるムダルニズマという文芸運動が興った。ラナシェンサは懐古主義的で文学中心の運動であるが、ムダルニズマは前衛的で建築や美術中心の運動であり、建築の分野ではアントニ・ガウディ、リュイス・ドゥメナク・イ・ムンタネー、ジュゼップ・プッチ・イ・カダファルクなど、美術の分野ではラモン・カザスやサンティアゴ・ルシニョールなどが活躍した。
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