サンティアゴ・ルシニョールとは? わかりやすく解説

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サンティアゴ・ルシニョール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/02 00:57 UTC 版)

サンティアゴ・ルシニョール
Santiago Rusiñol
生誕 1861年2月25日
スペイン,バルセロナ
死没 1931年6月13日
スペイン,アランフエス
運動・動向 印象派
オレンジの木々の谷

サンティアゴ・ルシニョールSantiago Rusiñol i Prats, 1861年2月25日 - 1931年6月13日)は、スペインバルセロナ出身の画家劇作家カタルーニャ地方のポスト印象派画家であり、ムダルニズマ(カタルーニャ文芸復興運動)において重要な役割を担った人物である。ピカソにも影響を与えたと言われている。

略歴

1861年にバルセロナで織物業を手がける家庭に生まれる。バルセロナでオリエンタリズムの画家、トマス・モラガス (Tomás Moragas) に絵画を学び、1879年にバルセロナのグループ展に出展した。1889年にパリに渡り、モンマルトルで芸術活動を行う。

スペインに帰国後は、シッチェスに移り住み、ギャラリー兼アトリエを構えた。当時カタルーニャの芸術家のサロン的存在となっていたバルセロナのカフェ「四匹の猫」にも足しげく通っていた。そこではラモン・カザスや、まだ若いパブロ・ピカソやその他の芸術家と交流を持った。

1931年にアランフエスの庭園で絵画の作成中に没している。

作品

Santiago Rusiñol-Son Moragues

作風は印象派に強い影響を受けている。印象派的な風景画のほかにも、象徴主義的な影響を受けた作品も見られる。絵画は初期には人物画も描いていたが、次第に風景画が主体となった。

絵画以外には詩散文、戯曲など多くの文芸作品を残している。また新聞や雑誌にも記事を提供たことで知られている。

彼の作品はいずれもカタルーニャ語で書かれているが、彼の生きた20世紀初頭はカタルーニャのアイデンティティを確立するムダルニズマ(カタルーニャ文芸復興運動)が高まった時代であった。

参考文献

  • Vázquez, Oscar E., "Beauty Buried in its Own Cemetery: Santiago Rusiñol's 'Jardins d'Espanya' as Reliquaries of Aristocratic History." Word & Image 2, no.1 (January–March, 1995), 61–76

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