スティクス時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/01 15:12 UTC 版)
詳細は「スティクス (バンド)」を参照 スティクス加入後の彼の初参加アルバムは1976年の『クリスタル・ボール』(全米66位)。アルバム・タイトルは彼の発案によるもの。彼自身の作曲したナンバー「Mademoiselle」「Shooz」を含む。続いて1977年の『グランド・イリュージョン - 大いなる幻影』が全米6位に輝き、グループは一気にブレイクした。アルバムはプラチナ・アルバムを獲得し、ショウのペンになる「Fooling Yourself (The Angry Young Man)」がラジオでヘヴィ・ローテーションとなった。1978年リリースの通算8枚目『ピーシズ・オブ・エイト - 古代への追想』も前作に引き続き全米6位にチャート・イン。このアルバムでショウの作曲家、アレンジャーとしての才能が一気に開花、ロック色の強い「Renegade」(16位)、「Blue Collar Man」(21位)がメジャー・ヒットとなった。 1980年代はスティクスにとって商業的に大成功を収める飛躍の時代となったが、衰退の時代でもあった。1979年にリリースされた9枚目のアルバム『コーナーストーン』からシングル・カットされ全米1位に輝いたバラード「ベイブ」はシンガー兼キーボーディストのデニス・デ・ヤングの作品であったが、ショウともうひとりのギタリスト、ジェイムス・ヤングがバンドにロック的なサウンドを与え続けた。しかし、スティクスをラジオ向けのポップ・バンドにしたかったデニス・デ・ヤングと徐々に溝ができ始める。これがひとつの原因となって、デニス・デ・ヤングは一時的にバンドを解雇される(すぐに復帰)。しかし、ショウはこのような混乱に嫌気が差し、続く『パラダイス・シアター』(1981年)、『ミスター・ロボット - キルロイ・ワズ・ヒア -』(1983年) のツアーに疲れたこともあり、1983年にバンドを去る。
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