ボンきょう 【ボン(Bon)教】
ボン教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/28 00:03 UTC 版)
ボン教(ボンきょう、チベット語: བོན་, ラテン文字転写: bon、ラサ方言 IPA: [pʰø̃̀])はチベットの民族宗教である。ポン教(ポンきょう)とも表記・呼称される。
今日においても独自の教団が存在する。
概説
一般のチベット人にとってボン(བོན་, bon)とは、漠然とチベットの仏教伝来以前の土着の宗教を指す場合と、「ユンドゥン・ボン」(གཡུང་དྲུང་བོན་, g.yung drung bon, 永遠のボン)を自称する宗教・宗派を指す場合とがある[1]。文献資料は仏教伝来以後のものしか存在していないが、敦煌文献から8-10世紀のチベットの古代宗教についてある程度研究されている[2]。それによると初期の文献においてボンとは組織的な宗教の呼称ではなく一種の祭司のことを指しており、古代チベット王国(吐蕃)ではボンとシェンという祭司が祭祀を執り行っていた[3]。宗教はチュー(法、慣習)で、ラチュー(lha chos, 神の法)とミチュー(mi chos, 人の法)とが区別されていた。ラチューは時にはボン教、時には仏教のことを指し、後者のミチューが仏教伝来やボン教成立に先行する土着宗教であった[4]。後世の人々はこの古代宗教をボンと呼んだが、仏教布教前のチベット人が古来の祭祀や神話をボンと呼んでいたとは考えにくく、成立宗教としてのボン教は11世紀頃に姿を現し、組織されていったと考えられている。経緯としては760年前後、数十年前に伝来した仏教と古来の祭祀・神話の対立が始まり、840年代のランタルマ王の時代にそうした対立が一因となって吐蕃王朝が滅びる。王家の保護を失った仏教は表面上衰退するが、有力氏族の家系に引き継がれ、11世紀に再び盛んとなる。この時期にボン教の宗教としての整備が進んでいった[5]。11世紀以降に出現した初期のボン教文献は、主としてテルトン(埋蔵教発掘者)によってもたらされたもので、それぞれテルマ(過去に埋蔵されたものをテルトンが再発見したとされる文献)やニェンギュー(snyan brgyud, 口頭伝承を筆記したとされる文献)に分類される。
ボン教徒は、ボン教の中に取り込まれた古いアニミズム宗教である「原始的なボン」、ボン教徒がブッダと崇めるシェンラプ・ミウォが創始した宗教伝統である「ユンドゥン・ボン」、儀礼面で仏教の影響を受けた「新しいボン」とを区別する[6]。ユンドゥン・ポンも用語の面などで仏教の影響を受けているが、ボン教徒は仏教とは異なる独自の思想であることを自負している。
ボン教に古くから伝わる神話によると世界の起源は双子である。宇宙や神、人類などは2つの光線または2つの白い卵と黒い卵から誕生したとされている。白い卵から神と人間の父であるシバ・サンボ・ベンチが生まれ、天と地の神であるシバ・サンボ・ベンチの子孫が、人間になったものを生み出したとされる。黒い卵からは悪魔と破壊の父が生まれた。一部の人達は、これをマニ教の先駆けであるズルワーン教の影響とも考えている。
ユンドゥン・ボン
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この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 (2014年3月)
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ユンドゥン・ボン(永遠のボン)は、古代に伝わり、現在まで連綿と続いていると、ボン教徒たち自身によって信じられている宗教である。
起源
その起源は相当古くに遡り、ユンドゥン・ボンはその開祖であるトンパ・シェンラプによってチベット西方のタジク(ペルシア方面のこと)やシャンシュンからもたらされた教えであるとボン教徒は信じている。実際にはボン教とチベット仏教は相互に影響しながら発展してきた歴史があり、それぞれのなかに互いの影響を見てとることができる。
特徴
ボン教はその体系を構築する際にインドで発生した仏教の用語を用いたため、チベットの宗教としての独自性のない「剽窃者」の烙印を押されてきた。しかし、その経典の中身をよく見てみると、インド仏教思想の枠の中では収まらないことが明らかになりつつある。またチベット文化の源泉のひとつとして、仏教の中には見当たらない独特の要素をもっていることが指摘されている。こうした事情から今日、ボン教はチベット学や中央アジア史の最も先進的な研究対象のひとつと考えられている。ただし、一般にチベット仏教に由来しない民俗・信仰を「ボン教」としてひとくくりに認識しがちであるが、数ある民間宗教と厳密な意味でのボン教は区別するべきである。
ボン教教団の総本山はメンリ僧院(སྨན་རི་、sman ri)。その他にチベット内に存在する主な僧院としては、ユンドゥリン僧院、ナルシ僧院がある。総本山のメンリ僧院は現在、北インドにその機能を移している。
チベット仏教のニンマ派(古派)との相互影響が指摘されている。ゾクチェンという瞑想が伝えられていることも、ニンマ派と共通する点である。両者のゾクチェンの用語は基本的に同じものであるが、その系譜や見解は異なる。[[ゾクチェン(ボン教)]]については別項目を参照。
伝承では、チベットの西方にあるという神秘の国オルモ・ルンリン('ol-mo lung-ring)のトンパ・シェンラプを始祖とする。
インド起源の仏教では「右繞」(うにょう)すなわち時計回りに巡って行くことを善しとするが、ボン教には「左繞」(さにょう)すなわち左廻りを善しとする。このようなささいな相違に加え、最も異なるのはその相承系譜である。ボン教とチベット仏教の関係は、いわば「仲の良い双子の兄弟」に例えることが可能である。
「それがチベット語で“チュー”と呼ばれようが、“ボン”と呼ばれようが、ダルマのことを特にボン教徒は宗派の派閥のことだとは思っていない。ダルマとは根源的な真実をそのまま表したもののことであり、時代と歴史を通じて何度も繰り返し述べられてきたもののことなのだ。根源的な真実のことばかりか、永遠の真実のことなのだ。ダルマとはただ単に特定の時代、つまり紀元前6世紀の北インドで生み出されたもののことだけを意味しない」 John Reynolds, Yungdrung Bon, The Eternal Tradition,7.
脚注
参考文献
- 三宅伸一郎「第37章 仏教国で生き続けたマージナルな宗教―ボン教」『チベットを知るための50章』石濱裕美子編著、明石書店、2004年。ISBN 4750318957。
- デイヴィッド・スネルグローヴ (en)、ヒュー・リチャードソン (en) 著、奥山直司 訳『チベット文化史』春秋社、2003年。 ISBN 4393112326。
- ミルチア・エリアーデ 著、鶴岡賀雄 訳「第三十九章 チベットの宗教」『世界宗教史6』筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2000年。 ISBN 4480085661。
- Sam van Schaik (2011). Tibet: A History. Yale University Press
- シャルザ・タシ・ギャルツェン (en) 著、森孝彦 訳『智恵のエッセンス: ボン教のゾクチェンの教え』ロポン・テンジン・ナムダク (en) 解説、春秋社、2007年。 ISBN 9784393135303。
- Tenzin Namdak (2006). Bonpo Dzogchen teachings. Vajra Publications. ISBN 978-99946-720-5-9
- Samten Gyaltsen Karmay (en); Yoshihiko Nagano (長野泰彦) (2002). The Call of the Blue Cuckoo: An Anthology of Nine Bonpo Texts on Myths and Rituals. Senri ethnological reports 32. Bon studies 6. National Museum of Ethnology. ISBN 490190602X
- 『チベット ポン教の神がみ』、国立民族学博物館編、千里文化財団、2009年。ISBN 9784915606618。
- 光嶌督『ボン教学統の研究』風響社、1992年。 ISBN 4938718901。
関連項目
- 九寨溝 - 多くの観光客が訪問するボン教地域
外部リンク
- 『ボン教』 - コトバンク
- チベットのボン教とは(箱寺先生のちいさな瞑想教室)
- 企画展「チベット ポン教の神がみ」(国立民族学博物館)
ボン教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 16:20 UTC 版)
「チベットにおける宗教」の記事における「ボン教」の解説
チベットに土着的で、アニミズム的・シャーマニズム的な信仰体系であるボン教(bon chos)は、自然崇拝を拠りどころとし、成立は仏教伝来以前に遡るとされている。ボン教は当初仏教に対立・対抗したが、現在ではダライ・ラマ14世によって正当な宗教であると認められている。 ボン教の経典によれば、『ドドゥー』、『セルミク』、『シジー』の三つの聖典がトンパ・シェンラプ・ミボチェ(英語版)の神話を伝えているとされる。「ボンポ」(チベット語: bon po)とも呼ばれるボン教徒たちの見解によれば、埋蔵経典である『ドドゥー』と『セルミク』は11世紀頃に再発見され、『シジー』は口伝で伝えられていたものを、14世紀のロデン・ニンポによって口述筆記された。ロデン・ニンポにより著された聖典『シジー』はこれら三つのなかで最も長大で、シェンラプの生涯だけでなく他のテーマについても扱う、叙事詩とも言うべき内容である。ロデン・ニンポはボン教初のテルトン(英語版)ではなかったが、最後に成立した『シジー』こそがボン教におけるもっとも重要なテクストとなった。『シジー』によれば、シェンラブは、キャンパ・ラリンという悪魔に盗まれた馬を探す途上にボン教を成立させたという。また、伝承によれば、シェンラプは閻浮提のタジク・オルモルンリン(世界軸、後代の解釈ではペルシアとされる)で生まれた。伝統的な解釈によれば、タジク・オルモルンリンは、西部チベットにそびえるカイラス山のことと考えられる、ユンドゥン・グツェク山(「九層の卍(永遠)」)と同定される。タジク・オルモルンリンとカイラス山の神聖さ故に、ボン教徒は左卍と数字の9を縁起の良いものとみなし、これらのシンボルを重要視している。 トンパ・シェンラブ・ミボチェがコンポを訪れたとき、土地の人々は供犠によって神霊を鎮めていた。シェンラブは彼らに、、大麦の粉、ツァンパで作った動物を生贄の代用とすることを教えた。彼はまた、弟子たちが経典や聖典、ゾクチェンを修められるように転生できるように、劣った道であるシャーマニズムを通じ、祈祷、精進、帰依、専念について、弟子の能力に合わせて教えを授けた。 ボン教には、「ボンの九乗」と呼ばれる九つの方法体系がある。低位には医学、占星術、占術が置かれ、高位には経典やゾクチェンが置かれている。これら「ボンの九乗」は南伝埋蔵経、北伝埋蔵経、中央埋蔵経の、三種類に分類される。中央埋蔵経はニンマ派の九乗と類似しているが、北伝埋蔵経は失われた。テンジン・ワンギェル・リンポチェ(英語版)は南伝埋蔵経について、シャーマニズムとともに論じている。
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