エジプト・シリア戦役とは? わかりやすく解説

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エジプト・シリア戦役

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 02:40 UTC 版)

エジプト・シリア戦役(エジプト・シリアせんえき、: Campagne d'Égypte et de Syrie)は、1798年から1801年まで、フランス軍がエジプトシリアへ遠征した戦役である。単にエジプト遠征: Expédition d'Égypte)ともいう。 ナポレオン・ボナパルト率いる5万人のフランス軍が、マルタ島を経由して、エジプトアレクサンドリア近郊に上陸した。途中ナポレオンは帰還するも、延べ約3年間に渡って、地元のマムルーク軍や諸勢力、イギリス軍、そして後に宣戦してきたエジプト・シリアを間接支配するオスマン帝国の正規軍と戦った。


  1. ^ a b c d Warfare and Armed Conflicts: A Statistical Encyclopedia of Casualty and Other Figures, 1492-2015. p. 106 
  2. ^ 16世紀以降、フランスとオスマン帝国は長年にわたって友好関係を保っていた。フランス革命後もオスマン帝国は中立的な立場をとっており、フランスが派遣した大使も正式な外交使節として承認していた。
  3. ^ エドワード・サイード 『オリエンタリズム』 今沢紀子訳、平凡社ライブラリー、1993年 第1章


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エジプト・シリア戦役

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 14:29 UTC 版)

イギリスの歴史」の記事における「エジプト・シリア戦役」の解説

こうした状況大きな転換点となるのがナポレオン・ボナパルト登場である。ナポレオン登場大陸ミリタリー・バランス大きく崩し第一次イタリア遠征終えオーストリア帝国打ち破ると、当時フランス総裁政府軍事上の次の軍事的脅威イギリス捉えナポレオンを対英方面司令官任命したといって当時フランスにとってドーバー海峡渡ってイギリス直接侵攻するということは非現実的な議論であり、この職への就任事実上左遷であった。しかしイギリス脅威対抗するとも又必要であったため、ナポレオンイギリスと、イギリスの植民地であったインド連絡絶ちイギリス経済的に疲弊させることを目的としてエジプト遠征決意した。これがイギリスにとってナポレオンとのはじめての直接対決であり、以降17年間続くナポレオン戦争実質的な幕開けであった1798年ナポレオンエジプト上陸しピラミッドの戦いカイロ陥落させると、シリア方面転じヤッファアレクサンドリアイギリス陸軍打ち負かした。しかしアッカ戦いでイギリス・オスマン連合軍敗れ次いでナイルの海戦補給担当するフランス艦隊が、ホレーショ・ネルソン率いイギリス艦隊大敗遠征維持補給の不安を抱えたため、当初の目的であるイギリスインド遮断達成できなかった。一方大陸においてフランス軍劣勢に立たされ、総裁政府への支持急落したため、ナポレオン遠征中止してフランスへ帰国した

※この「エジプト・シリア戦役」の解説は、「イギリスの歴史」の解説の一部です。
「エジプト・シリア戦役」を含む「イギリスの歴史」の記事については、「イギリスの歴史」の概要を参照ください。

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