フォンテーヌブロー条約_(1814年)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > フォンテーヌブロー条約_(1814年)の意味・解説 

フォンテーヌブロー条約 (1814年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/07 14:30 UTC 版)

フォンテーヌブロー条約(1814年)
フォンテーヌブローで退位するナポレオン
起草 1814年4月11日
署名 1814年4月16日
署名場所 フォンテーヌブロー
締約国 フランス第一帝政第六次対仏大同盟諸国
主な内容 皇帝ナポレオン1世の退位条件を定めた
テンプレートを表示

フォンテーヌブロー条約(フォンテーヌブローじょうやく、: Traité de Fontainebleau, : Treaty of Fontainebleau, : Договор в Фонтенбло, : Vertrag von Fontainebleau)は、1814年にフランス第一帝政第六次対仏大同盟諸国との間で締結された講和条約で、皇帝ナポレオン1世の退位条件を定めたものである。

フォンテーヌブローは、パリ郊外にある締結地。

概要

1814年4月11日に合意に達し、4月16日に締結された。事実上のフランス追放であるが、退位したナポレオンにはエルバ島の主権と皇帝称号などが認められた[1]

200万フランの年金がフランス政府からナポレオンに送金されること、皇后マリー・ルイーズと息子のナポレオン2世にはパルマ公国の統治者の地位が与えられ、のちにエルバ島で合流できることがナポレオンに約束された。

4月20日、ナポレオンはフォンテーヌブロー城を出発しエルバ島へ向かった。しかししばらくしても年金や皇后との合流は果たされず、ウィーン会議において同盟国側は約束を反故にしたことが明らかになったことから、ナポレオンは同条約は破棄されたものとして翌年脱出して、フランスに帰還を果たした。

出典

  1. ^ 野村(2019), p. 56.

参考文献

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「フォンテーヌブロー条約_(1814年)」の関連用語

フォンテーヌブロー条約_(1814年)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



フォンテーヌブロー条約_(1814年)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのフォンテーヌブロー条約 (1814年) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS