エジプト遠征
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エジプト遠征(エジプトえんせい)とは、エジプトへ軍隊を遠征させて戦争などを行うこと。
- 紀元前1730年ごろ - ヒクソスのエジプト遠征。
- 紀元前7世紀 - アッシリア帝国 エサルハドン王のエジプト遠征。
- 紀元前6世紀 - ペルシア帝国 カンビュセス2世のエジプト遠征。
- 紀元前4世紀 - アレクサンドロス3世およびその後継者(ディアドコイ)によるエジプト遠征。→「ディアドコイ戦争」を参照
- 紀元前1世紀 - ローマ共和国 ガイウス・ユリウス・カエサルのエジプト遠征。
- 紀元前30年 - ローマ共和国 オクタウィアヌスのエジプト遠征。
- 7世紀 - 正統カリフ治下アラブ軍によるエジプト遠征。
- 969年 - ファーティマ朝のエジプト遠征。
- 12世紀 - 十字軍戦争(第2回十字軍)。
- 1248年-1254年 - フランス王ルイ9世が主導する第7回十字軍がアイユーブ朝エジプトに遠征。
- 1798年-1801年 - ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍のエジプト遠征。→「エジプト・シリア戦役」を参照
- 1918年 - エドムンド・アレンビー(en)率いるイギリスのエジプト遠征。
関連項目
エジプト遠征(エジプト・シリア戦役)
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「ナポレオン戦争」の記事における「エジプト遠征(エジプト・シリア戦役)」の解説
詳細は「エジプト・シリア戦役」を参照 フランス軍は、強力な海軍を有し制海権を握っているイギリスに対しては打撃を与えられなかった。そこでナポレオンはイギリスとインドとの連携を絶つため、オスマン帝国領エジプトへの遠征を総裁政府に進言した。1798年5月19日、ナポレオンの率いるエジプト遠征軍はトゥーロン港を出発。途中マルタ島を占領し、7月2日にエジプトのアブキール湾に上陸した。7月21日にはピラミッドの戦いで現地軍に勝利。次いでカイロに入城した。しかし8月1日のナイルの海戦において、ネルソン率いるイギリス艦隊にフランス艦隊は大敗し、ナポレオンはエジプトに孤立してしまう。 他方、イギリスがマルタ島を占領したことで、海上の通商権を侵害されたデンマーク、スウェーデンと、イギリスの地中海進出に難色を示したロシアがプロイセンと結び、1800年に第二次武装中立同盟を結成する。これに対してイギリスは、1801年、デンマークの首都コペンハーゲンを攻撃した(コペンハーゲンの海戦, 4月2日)。この結果、武装中立同盟は解体し、ロシア、スウェーデンはイギリスと和解、デンマークはフランスに接近していった。
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