エジプト進攻とは? わかりやすく解説

エジプト進攻(第一次エル・アラメインの戦い)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:20 UTC 版)

エルヴィン・ロンメル」の記事における「エジプト進攻(第一次エル・アラメインの戦い)」の解説

ロンメル率いる独伊軍ガザラの戦い消耗していたが、英軍回復時間与えぬために勢い乗って1942年6月24日からエジプト領へ攻め込んだ6月25日独軍15装甲師団と第21装甲師団エジプト港町メルサ・マトルー(en)に迫った英軍第8軍司令官リッチーはメルサ・マトルーをなんとしても防衛するつもりだったが、中東方面軍司令官オーキンレックはこれに不同意であり、リッチー罷免して自らが第8軍司令官兼務した。オーキンレックはメルサ・マトルーから東に150キロところにあるエル・アラメインの方が防御が容易と判断していた。ここはカッターラ低地存在により作戦展開できる領域狭くロンメルが得意とする内陸部からの大胆な迂回戦術」が使えない場所だった。 ロンメル英軍エル・アラメイン体制を整える前に一気片付けることを企図し、メルサ・マトルーからエル・アラメイン撤収していく英軍急追命じた6月29日には独軍90軽師団6月30日には独軍15・第21装甲師団エル・アラメイン接近した。だが結果おもわしくなかった。英軍第3南アフリカ旅団攻撃をかけた第90軽師団砂嵐進路を見失いパニック状態になって西に敗走した独軍15装甲師団と第21装甲師団英軍18インド旅団挟み撃ちにして攻撃したが、インド師団持ちこたえた独軍に随分鍛えられていた伊軍アリエテ師団も第2ニュージーランド師団激し抵抗にあっていた。 ロンメル7月4日攻勢中止させ、休息次の攻勢準備急がせた。しかしその間7月10日から14日にかけて英軍エル・アラメイン西方エル・エイサ丘陵陣取る伊軍強襲してきた。この攻勢伊軍サブラータ歩兵師団がほぼ壊滅しアリエテ師団大打撃受けた。これによりこれ以上攻勢難しくなった。だが国防軍最高司令部東部戦線ドイツ軍コーカサス進攻作戦影響与えという事ロンメルエル・アラメインの線で頑張るよう指導し続けたその後7月通じて英軍と独伊軍エル・アラメインの線で一進一退の攻防続けた

※この「エジプト進攻(第一次エル・アラメインの戦い)」の解説は、「エルヴィン・ロンメル」の解説の一部です。
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