エジプト軍の襲撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 09:26 UTC 版)
「エジプト軍によるラルナカ国際空港襲撃」の記事における「エジプト軍の襲撃」の解説
この間、エジプト政府は、特殊部隊を使って犯人を制圧する作戦を密かに検討していた。エジプトは、1976年8月23日に起きた国内線のボーイング737ハイジャック事件で、特殊部隊による人質救出を成功させた経験があった。暗殺犯の乗ったDC-8旅客機がジブチにいた2月19日午前中に、エジプト政府は作戦決行を決断した。ナビル・シュクリー准将の指揮する第777戦闘部隊(en)の兵員58人とジープが、エジプト空軍のC-130E輸送機によって空輸され、DC-8旅客機の帰還に40分後れでラルナカ国際空港に着陸した。兵員数74人、輸送機はC-130Hとする情報もある。 キプロス政府は、大統領のスピロス・キプリアヌ(en)自らも空港に赴いて暗殺犯らと交渉中であった。キプロス側は無断でのエジプト軍機到来に抗議したが、ただちに直接介入が行われるとまでは考えなかった。エジプト側はキプロス政府の事前同意を得ていたと後に釈明しているが、実際には交渉担当者の派遣への同意があったにすぎないと見られる。それどころか前日には、キプリアヌ大統領自身がサーダート大統領と電話会談して、独自行動を行わないよう求めていた。 社会民主運動党(en)のヴァッソス・リサリデス(en)党首の仲介でキプロス政府は暗殺犯に再び譲歩することにし、東ヨーロッパへの亡命用のパスポートと現金の提供を約束した。暗殺犯はこれに満足して手榴弾の安全装置を戻すなどした。やりとりを傍受していたエジプト軍は、暗殺犯逃亡のおそれが間近になったと知り、その前に強行突入することに決めた。 午後7時30分頃、エジプト軍C-130輸送機の後部ハッチが開かれ、暗殺犯の籠るDC-8旅客機へ向けてジープと兵員が発進した。エジプト兵がタラップを登ってドアに発砲すると同時に、警備中のキプロス軍はエジプト軍に向かって一斉に射撃を開始した。不意を突かれたエジプト兵は、たちまち多数が倒された。エジプト兵も応戦を始め、数人だけはDC-8の機内へ突入した。 エジプト軍を空輸してきたC-130輸送機もキプロス軍の攻撃目標とされ、対戦車ロケット弾が撃ち込まれて炎上、乗員3人が死亡した。脱出できたエジプト兵は、隣に駐機中だったキプロス航空のBAC 1-11旅客機に逃げ込み、なおも応戦した。キプリアヌ大統領らのいる管制塔にも弾丸が当たった。戦闘は約50分間にわたって続いた。 予想だにしなかった戦闘の発生に驚いた暗殺犯は、発砲が途絶えた間を見て投降を告げた。犯人は兵士からキプロス警察に引き渡され、武装解除を受けた。犯人投降後も若干の銃撃戦があった。
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