エジプト考古学の黎明期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 03:19 UTC 版)
「ギザの大ピラミッド」の記事における「エジプト考古学の黎明期」の解説
ナポレオンはエジプト遠征にエジプト調査の為の学芸委員会を同行させた。1801年の撤退までに委員会はエジプト全土の調査を行い、ジャン=マリー・クテルとジャン=バプティスト・ル・ペールがギザでは大ピラミッドの竪坑の掘削、スフィンクスの発見、周辺遺跡の発掘を行った。その成果は『エジプト誌』に纏められ、これがきっかけとなって西欧において古代エジプト文明が再発見されることとなった。 フランスの東方遠征軍が帰国した後は、略奪と破壊的かつ非組織的発掘の時代となった。イタリア領事の支援を受けて大ピラミッドなどの発掘を行ったイタリア人は科学や芸術に所属しない人物であった。そのひとり、ジョヴィアンニ・ガヴィッリャが1816年からおこなった発掘では、女王の間でいくつかの穴をあけ、竪坑のがれきや下降通路の石栓を取り除いて地下室を発見した。イギリス人のハワード・ヴァイスとジョン・ペリングは1837年からギザのピラミッドの調査を行い、大ピラミッドの王の間で通気口を発見した。また、ダイナマイトを用いて重量軽減の間が5層構造になっていることを明らかにし、大ピラミッド南側の入口を探すために爆破をするなど、ギザで破壊的な調査を繰り返した。こうした発掘により多くの発見があったが、同時に遺跡が破壊された。
※この「エジプト考古学の黎明期」の解説は、「ギザの大ピラミッド」の解説の一部です。
「エジプト考古学の黎明期」を含む「ギザの大ピラミッド」の記事については、「ギザの大ピラミッド」の概要を参照ください。
- エジプト考古学の黎明期のページへのリンク