エジプト統治とは? わかりやすく解説

エジプト統治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 07:53 UTC 版)

イヴリン・ベアリング (初代クローマー伯爵)」の記事における「エジプト統治」の解説

1883年9月エジプト総領事英語版)に任命された。エジプトはいまだ形式的に独立国だったが、実際にイギリス総領事たる彼が副王下エジプト政府傀儡にして、重要な政策全て取り決めるようになったベアリング抜擢した英国人(主にインド総督勤務経験者)で構成されるエジプト統治チームが、エジプト各省庁エジプト軍部、エジプト警察署などに配置されエジプト行政操縦した。彼らと6000人のエジプト占領イギリス軍、そしてエジプト進出しているイギリス商社存在によってエジプト諸外国から大英帝国植民地認識されるようになった事実上の「エジプト総督」であるベアリング財政改革税制改革農業振興によって破たん状態のエジプト財政立て直し努め1896年までには歳入歳出100万ポンド上回る黒字状態にした。また強制労働制度廃止したり、英国流の司法・行政改革行ったり、大規模な土木灌漑工事実施したり、首都カイロ都市改造行ったりもした。 一方で他の大英帝国植民地総督と同様、被支配民に教育与えようとはしなかったし、自治のための準備もしなかったため、現地民の支持を得ることはできなかった。エジプトの歴史家の間でも彼の統治については「エジプト人を対等人間として扱わなかった」(アリ・バラカート教授)、「英国にとって利益となる農業振興のみを重視し工業化阻害し教育などを軽視した」(アファフ・ルトフィ・アッ・サイエッド・マルソー教授)といった批判的評価が多い。 ベアリング統治後半には反英的なエジプト民族主義高まりはじめたとりわけ1906年のデンシャワイ事件英語版)によってそれが顕著となった。 この事件本国自由党政権にも問題視され、また健康状態悪化していたため、彼は1907年3月をもってエジプト総領事辞することにした。彼のエジプト統治期間は実に4半世紀にも及んだベアリングは、エジプト総領事在任中の1892年クローマー男爵1899年クローマー子爵1901年クローマー伯爵爵位を受け、貴族院議員列している。

※この「エジプト統治」の解説は、「イヴリン・ベアリング (初代クローマー伯爵)」の解説の一部です。
「エジプト統治」を含む「イヴリン・ベアリング (初代クローマー伯爵)」の記事については、「イヴリン・ベアリング (初代クローマー伯爵)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「エジプト統治」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「エジプト統治」の関連用語

エジプト統治のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



エジプト統治のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのイヴリン・ベアリング (初代クローマー伯爵) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS