エジプト第一中間期と中王国時代とは? わかりやすく解説

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エジプト第一中間期(第7 - 10王朝)と中王国時代(第11 - 12王朝)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 09:11 UTC 版)

古代エジプトの宗教」の記事における「エジプト第一中間期(第7 - 10王朝)と中王国時代(第11 - 12王朝)」の解説

この時代著作で、「人生疲れた者のその魂との論争」という有名なものが残されている。この作品見られる自殺という概念は、以前エジプト人の思想から遠く離れたものであった。この作品同じく、「予言者訓戒」と呼ばれる書があり、その内容から、忘却としての死を歓迎するようになったことが窺える死後も現在と同じ生命喜びを長引かせたい、と願っていた思想から、忘却を願うほど、時代の変化宗教観に影響与えるほどの混乱国内発生し各地支配者間の争い起こった富める者が財を失い貧しい者が財を得る混乱と崩壊起こり王権以前ほどの力がなくなった後、王のものとされていた宗教及び、葬送に関する信仰習慣が、叙々に大衆化していった最初に貴族死後の生命を望むようになり、次に一般大衆も王の寵愛にすがることなく死後の生活を期待できるようになった。すなわち、オシリス信仰し正し儀式埋葬の手順を踏むことにより、死後の世界大衆にも開かれたのである。 この葬送思想変換は、他の神々とは比較できないほど人気のあったオシリス信仰と密接に結びついているまた、内臓保存する容器である「カノプス壺」が、中級階級人々の間で次第広まっていったのもこの時代である。 第7王朝から続いた混乱も、第11王朝時代再統一によって、エジプトは再び安定した王墓としてのピラミッド建設再開した。 それと共に、第1112王朝の王たちはそれぞれ以前地方神にすぎなかった神々の地位を向上させた。全能の神ラー対す信仰は、オシリス信仰や、新たな支配者たちにとって重要な神々対す信仰に座を奪われた。第11王朝テーベ支配者たちは、彼らの地方神であるハヤブサの頭を持つ戦いの神、メンチュウを国家神とした。 第12王朝では、アメンエムハト1世テーベの一地方であったアメン王朝守護神として、アメン対す信仰強調した。この時代にはテーベカルナックにあるアメン神殿宗教的中心地として発展し、後にエジプト最大神殿となった。 他の神々もまた忘れ去られわけではない第12王朝の王たちにより、メンフィスプタハ神殿ヘリオポリスのラー・アトゥム神殿、コプトスのミン神殿、アピュドスのオシリス神殿などの建築続けられた。 センウセレト3世治世において中心的な財務官であったイケルネフェルトは、オシリス信仰再編し神殿品々供えるためにアビュドス派遣された。彼は、オシリス生と死記念するために神官たちが演ずる神秘劇に、どのようにして自らが参加したかを述べている。こうした劇は、アビュドスにおいて第12王朝以降毎年上演され氾濫期の最後の月祭礼一部をなしていた。これは、神官たちだけでなく、多く一般の人々にとって大変楽しい祭礼であり、アビュドスにおけるこの神の復活劇に参加するため、人々遠隔地からやって来た。 こうした巡礼者たちは、この祭礼重要な役割演ずる神の名因んで、「トートに従うたち」として知られていた。彼らは、神殿の外で行なわれ幾つかの祭礼を見ることができた。しかし、オシリス彼に従う者たちの復活約束する最も神聖な儀式は、神殿の奥で神官たちによってひそかに行なわれた。ナイル川氾濫植物の再生は、オシリス死んでオシリスとなった王たちの勝利を象徴していた。 アビュドスは、オシリス信仰における独自の地位占めるようになるアビュドス巡礼中心地であり、人々は、そこに埋葬されるために、あるいは、故郷埋葬される前にアビュドスまでミイラを送るというような特別な手段講じたこのような費用負担できない者たちは、アビュドスステラ奉納したり、自分の墓の中に舟を副葬して、死後、この聖なる町へ行けるようにした。この地には、昔から多くの王たちが埋葬され初期王朝時代の王たちのために多く儀式執り行なわれた。しかし、最も重要なのは、アビュドスオシリス遺体埋葬されたという信仰である。 そのため、何らかの形でアビュドスと縁を持つことが望ましいこととされた。神の復活参与することは、自らの再生助けることと考えられたからである。こうしてオシリスは王に代わって永遠性象徴となり、富や地位かかわりなく、全ての人々永遠な生命を得る機会与える神となり、オシリス信仰広く一般に人気を博することとなった。 人が死後彼の王国である冥界受け入れられるためには、まず正し埋葬の手続を踏み供物用意しなければならなかったが、神の裁きを無事通過することが、一層、重要なこととなった

※この「エジプト第一中間期(第7 - 10王朝)と中王国時代(第11 - 12王朝)」の解説は、「古代エジプトの宗教」の解説の一部です。
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