エジプト第一中間期(第7 - 10王朝)と中王国時代(第11 - 12王朝)
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「古代エジプトの宗教」の記事における「エジプト第一中間期(第7 - 10王朝)と中王国時代(第11 - 12王朝)」の解説
この時代の著作で、「人生に疲れた者のその魂との論争」という有名なものが残されている。この作品に見られる、自殺という概念は、以前のエジプト人の思想から遠く離れたものであった。この作品と同じく、「予言者の訓戒」と呼ばれる書があり、その内容から、忘却としての死を歓迎するようになったことが窺える。死後も現在と同じ生命の喜びを長引かせたい、と願っていた思想から、忘却を願うほど、時代の変化が宗教観に影響を与えるほどの混乱が国内で発生し、各地で支配者間の争いが起こった。 富める者が財を失い、貧しい者が財を得る混乱と崩壊が起こり、王権も以前ほどの力がなくなった後、王のものとされていた宗教及び、葬送に関する信仰や習慣が、叙々に大衆化していった。 最初に大貴族が死後の生命を望むようになり、次に一般大衆も王の寵愛にすがることなく死後の生活を期待できるようになった。すなわち、オシリスを信仰し、正しい儀式や埋葬の手順を踏むことにより、死後の世界が大衆にも開かれたのである。 この葬送思想の変換は、他の神々とは比較できないほど人気のあったオシリス信仰と密接に結びついている。 また、内臓を保存する容器である「カノプス壺」が、中級階級の人々の間で次第に広まっていったのもこの時代である。 第7王朝から続いた混乱も、第11王朝時代の再統一によって、エジプトは再び安定した。王墓としてのピラミッド建設も再開した。 それと共に、第11、12王朝の王たちはそれぞれ、以前は地方神にすぎなかった神々の地位を向上させた。全能の神ラーに対する信仰は、オシリス信仰や、新たな支配者たちにとって重要な神々に対する信仰に座を奪われた。第11王朝のテーベの支配者たちは、彼らの地方神であるハヤブサの頭を持つ戦いの神、メンチュウを国家神とした。 第12王朝では、アメンエムハト1世がテーベの一地方神であったアメンを王朝の守護神として、アメンに対する信仰を強調した。この時代にはテーベのカルナックにあるアメン神殿が宗教的中心地として発展し、後にエジプト最大の神殿となった。 他の神々もまた忘れ去られたわけではない。第12王朝の王たちにより、メンフィスのプタハ神殿やヘリオポリスのラー・アトゥム神殿、コプトスのミン神殿、アピュドスのオシリス神殿などの建築が続けられた。 センウセレト3世の治世において中心的な財務官であったイケルネフェルトは、オシリス信仰を再編し、神殿に品々を供えるためにアビュドスに派遣された。彼は、オシリスの生と死を記念するために神官たちが演ずる神秘劇に、どのようにして自らが参加したかを述べている。こうした劇は、アビュドスにおいて第12王朝以降、毎年上演され、氾濫期の最後の月の祭礼の一部をなしていた。これは、神官たちだけでなく、多くの一般の人々にとって大変楽しい祭礼であり、アビュドスにおけるこの神の復活劇に参加するため、人々は遠隔地からやって来た。 こうした巡礼者たちは、この祭礼で重要な役割を演ずる神の名に因んで、「トートに従うたち」として知られていた。彼らは、神殿の外で行なわれた幾つかの祭礼を見ることができた。しかし、オシリスと彼に従う者たちの復活を約束する最も神聖な儀式は、神殿の奥で神官たちによってひそかに行なわれた。ナイル川の氾濫と植物の再生は、オシリスと死んでオシリスとなった王たちの勝利を象徴していた。 アビュドスは、オシリス信仰における独自の地位を占めるようになる。アビュドスは巡礼の中心地であり、人々は、そこに埋葬されるために、あるいは、故郷で埋葬される前にアビュドスまでミイラを送るというような特別な手段を講じた。このような費用を負担できない者たちは、アビュドスにステラを奉納したり、自分の墓の中に舟を副葬して、死後、この聖なる町へ行けるようにした。この地には、昔から多くの王たちが埋葬され、初期王朝時代の王たちのために多くの儀式が執り行なわれた。しかし、最も重要なのは、アビュドスにオシリスの遺体が埋葬されたという信仰である。 そのため、何らかの形でアビュドスと縁を持つことが望ましいこととされた。神の復活に参与することは、自らの再生を助けることと考えられたからである。こうしてオシリスは王に代わって永遠性の象徴となり、富や地位にかかわりなく、全ての人々に永遠なる生命を得る機会を与える神となり、オシリス信仰が広く一般に人気を博することとなった。 人が死後、彼の王国である冥界に受け入れられるためには、まず正しい埋葬の手続を踏み供物を用意しなければならなかったが、神の裁きを無事通過することが、一層、重要なこととなった。
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