エジプト研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 00:41 UTC 版)
「アタナシウス・キルヒャー」の記事における「エジプト研究」の解説
詳細は「古代エジプト文字の解読」を参照 アタナシウスは当時のヨーロッパでもっとも優れた古代エジプト研究者であった。彼の提示した説の中には誤っていたものもあるが、それを差し引いても学術的エジプト研究のパイオニアという地位は揺るがない。彼がエジプト研究に入るきっかけとなったのは1628年にシュパイアーの図書館でヒエログリフのコレクションを見たことであった。1633年になってコプト語を学ぶと、初のコプト語の文法書『プロドロムス・コプトゥス・シヴェ・エジプティアクス』を1636年に出版している。1643年に出版された『リングア・エジプティアカ・レスティトゥタ』ではコプト語が古代エジプト語の発展した形であることを述べ、ヒエラティックとヒエログリフの関係も指摘している。 『エディプス・エジプティアクス』の中でアタナシウスは古代エジプト語が人祖アダムによって使われていた言葉であり、ヘルメス・トリスメギストスはモーセと同一人物であると推測している。そしてヒエログリフは文字ではなくオカルト的な記号であると結論づけた。このような間違った結論からアタナシウスの「翻訳」は荒唐無稽なものとなった。たとえば彼は、あるヒエログリフを「テュポーンの背信行為はイシスの王権を終焉させ、空気中の水蒸気はアヌビスによって守られる」と読んでいるが、実際には「オシリスは言う」という簡単な1句にすぎなかった。 アタナシウスのヒエログリフ解読の試みは失敗に終わったが、科学的ヒエログリフ解読の嚆矢となった。また、アタナシウスの収集した膨大なヒエログリフ関係の資料は後にジャン=フランソワ・シャンポリオンの手にわたり、ヒエログリフの解読成功に貢献している。アタナシウス自身も後にヒエログリフはなんらかのアルファベットであるという結論に達し、(見当違いではあったが)具体的にギリシア語のアルファベットとヒエログリフを対応させてみている。ただし、今日における彼の評価は、ヒエログリフ解読を絵文字の一種という間違った認識で方向付けたため、イェール大学のマイケル・コウが言う「解読を2世紀遅らせた人物」というものが多い。
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